いわし亭Momo之助

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのいわし亭Momo之助のネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

スタジオA24の快進撃が止まらない って感じ? 2022年度 第95回アカデミー賞で 最多の10部門11ノミネート。結果 史上初(!)の主要6部門(作品賞 監督賞 脚本賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 に 編集賞のおまけもついての7冠!)を制覇
凄い… そんな素晴らしい作品なら さぞかし 高い品位と誰にも分かり易く 深い人間愛や人生観をしっかり描いた文学性 芸術性の高い内容なのだろう。なにしろ 映画芸術科学アカデミーが認定した 史上初の快挙を成し遂げた作品なのだから(草)

中年のおっさんとおばはんとジジィとデブでブスのJKが出てくる 華やかさとは全く無縁の茶色い映画… これが いわし亭のこの作品への第一印象だ。なんでこんな 作劇スキルの低さが理解困難に直結している訳の分からない作品が 史上初の快挙を成し遂げたのか? 
7冠という客観的事実は この作品がこれまでの どのオスカー作品よりも素晴らしいと評価された ということになってしまうわけだが…

ただ 思い当たることはある。ここ数年来のアカデミー賞の多様性への忖度である

前年の2022年3月27日に開催された第94回授賞式で 主演男優賞を受賞したウィル・スミスが 妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスの病気をネタにした司会者クリス・ロックを引っ叩いた騒動は まだ記憶に新しい
クリス・ロックは 1996年 『 ニガズ 対 ブラックピープル 』 というネタで 当たり前の責任を果たすだけで 過剰に誉めてもらいたがる図々しい黒人を ニガ(相当に差別的ニュアンスを含んだ蔑称である)と呼び 彼らは いつも黒人のイメージを貶めるだけの存在であるとして こき下ろしている
2016年 第88回アカデミー賞授賞式では  ‟ アジア人は数学が得意 ” というステレオタイプを強調した寸劇を披露し  ‟ このジョークに怒るなら 携帯電話を使ってツイートすればいい。その携帯もアジア系の子供たちが作っているだろう ” とコメントした
この寸劇に対して アジア系アカデミー会員が連名で抗議 アカデミー側は “ 今後の授賞式では もっとそれぞれの文化に配慮できるよう 全力を尽くします ” と陳謝しているが 昨年(2022年)の騒動を見ても分かる通り それがその場しのぎの単なる形式だけのコメントであったことが露見している
いわし亭にしてみれば 何が映画芸術科学アカデミーだ という憤りがある。あんなもの もともとは財閥の道楽でしかなく 世界中に無数にある映画祭の一つに過ぎない

ヴァラエティ誌によると ‟ 主催のアカデミー側は 不適切な身体的接触 罵倒または脅迫の行動 そしてアカデミー賞の品位を損なうものとして ウィルに対する懲戒手続きを開始。会員資格の停止や剥奪も検討されている ” とのことだが これは全く矛盾している
アカデミー側が挙げた事項の中で スミスにのみ 該当するのは “ 不適切な身体的接触 ”  つまりビンタだけであり それ以外の指摘は ロックお得意のネタにも十分当てはまる。特に品位を損なう(映画芸術科学アカデミーに品位などあれば の話だが)という点においては ロックの方がはるかに罪深い
スミスは退会の意向を明らかにし アカデミー側はこれを受理しているが ロックへのおとがめは なしで 彼は一方的な被害者 ということになっている。アカデミーは 前科のあるロックをあえて起用した責任上 白人にとって使い勝手の良いアンクル・トムを全力で守る必要があり 100% ウィル・スミスが一方的に悪い としなければ格好がつかない。アカデミーは ロックのふるまいを正当化しない限り 特大のブーメランをくらうことになるからだ
しかし 先の過去経緯から見ても ロックは明らかな確信犯だし アカデミー側もそれが分かっていて 二度も彼を起用しているのだ。こうした黒歴史を払拭する意味で アカデミーはWASP以外から出てきた作品を過剰に評価しようとしている という見方も可能だ

例えば 2016年公開 第89回アカデミー賞で8部門でノミネートを受け 作品賞 助演男優賞 脚色賞を受賞した『ムーンライト』。これまたA24配給。誤って『ラ・ラ・ランド』が表彰されるという前代未聞の茶番もあったなぁ。排他的政策を取るドナルド・トランプ米大統領への批判や皮肉が相次いだ政治色の強い授賞式となったのも 無関係ではなかろう
あるいは 2022年公開 第94回アカデミー賞で作品賞・脚色賞を含む計4部門にノミネートされ 国際長編映画賞を受賞した『ドライブ マイ カー』 とかとかとか。因みに 2023年度の受賞作には 主題歌賞で インド映画の『RRR』(「Naatu Naatu」)まで 選ばれている


さて こうした前提を踏まえた上で『エブエブ』を見ていくことにしよう

作品は「なんでも」「どこでも」「いっぺんに」と 題された尺も内容もバラバラな三つのパートからなる 実に140分にもわたる冗長なドラマである
当初 いわし亭は カンフー アクションが見せ場の作品が とうとうアカデミー賞の様な正式な場で評価の対象になった と嬉しかったし あの『燃えよドラゴン』から50年を経て 香港アクションのカテゴリーとは一切関係のない全く別の場所から こうした作品が 出現したことを喜んでいたのだ
また 香港アクションを支えた偉大な龍虎武師たちの生き様をとらえた涙なしには見られないドキュメンタリー『カンフー スタントマン』が この作品の露払いとして公開されたのも 象徴的な出来事だった。本当に鑑賞を楽しみにしていた

しかし しかしだ 開始数分で 早くも ??? となる
これ 予備知識なしで見たら 100% 置いて行かれるし 制作側も 詳しく説明する気が全くない作りになっているのだから タチが悪い。特に 厄介なのは 昨今 はやりのマルチバースを まるで『2001年 宇宙の旅』(実際 パロディシーンが出てくる)のスターゲートばりに 次から次へと場面転換し 目まぐるしく多用して ちょっとしたトリップ状態に陥るほどに 脳を揺らしてくる演出だ
マルチバース(並行宇宙)は昨今登場した新しい概念のようでもあるが 少し前にはパラレルワールドと称されていたはずだ。自分と全く同じ姿・形をした人間が生活している世界が同時進行的にいくつもある というドラマは タイムリープモノも含めると すでにかなりな作品数を数える。『TENET テネット』を監督したクリストファ・ノーラン辺りは そのテーマをライフワークにしている感すらある
マルチバースを上手く利用した作品では『スパイダーマン ノーウェイホーム』が見事に その設定を生かしていたのに感心させられた。スパイダーマンの映画化権は アホなことにマーヴェル自身が1998年に ソニーピクチャーズに売り渡してしまっており マ―ヴェル自身が映画製作を始めたにも拘わらず その一連の作品に スパイダーマンは登場できない大人の事情があった
そこで かつてスパイダーマンを演じた二人のピーターをマルチバースから呼び寄せ ソニーピクチャーズ版のスパイダーマンとマーヴェル版のスパイダーマンを共演させて これまでの事情を清算するという 荒業に出たのだが これが思いの外 功を奏しており 関係者一同 納得の落としどころではなかったか と思う。作品も面白い上に ドラマとしても豪華この上ない内容になった

マルチバースを もしあの時 別の道を選んでいたら という思いの具体化として利用し 人生の黄昏で誰もが思いを馳せる瞬間 本当にその別の道 つまりオールタナティブなバースでの自分にハイパージャンプ そして 数えきれないほど沢山の別の道(バース)があり ドラマが同時に進行するのだから 畢竟 作品が長時間化するのは当然だし 別のバースでは こちらの常識が通用しないこともありうるわけで これがそのまま 笑えないナンセンスギャグの連発に繋がっていくのだが この辺り まるで 説明不足なのだ
しかも ハイパージャンプの契機が 非常識な行動をとる というのだから ここでも笑いを取る演出を というプランは理解できるが 非常識な行動そのもの ~机上のトロフィーにケツの穴からダイブ(!)とか に笑えないものが多すぎるのは いただけない
しかも 現在のバースにいる普通のおばちゃん エヴリン・ワン・クワンがオールタナティブなバースにいる様々な能力を身に着けたエヴリンと入れ替わることで カンフーの達人になったり 一流の歌手やコック 正にアカデミー主演女優賞を受賞するようなアクトレス あるいは 指がソーセージになってる異星人~ぜんぜん面白くない 挙句の果てには石になる というシチュエーション迄出てくる... とかに 早変わりするわけだが そのエヴリンが では たった今 現在は どこにいるのか? が よく分からないから 話が見えなくなるのだ
別の人生を単にのぞき見してるだけなのか 実際に別の人生のエヴリンと入れ替わっているのか 単に思い出に浸っているだけなのか その境界線が都合よく 曖昧に 制作者側の独りよがりで 分かってるでしょ的に処理されているので 初めて鑑賞する側は本当に どんどん置いて行かれる
もう一つ これに拍車をかけるのが マルチバースが架空の存在ではないことを裏付ける様に タブレットを駆使して マルチバースの全体像を常に追いかけているチームの存在だ。これが出てくると 今 起こっていることは 想像の世界のことではなく 実際に起きていることなのだ と現実に引き戻される訳で これまた実に分かりづらい
ところが これ 二回目の鑑賞だと 意外に くっきり見えてくるから ビックリだ。その意味で 観客の側も 全体を俯瞰できるポジションがキープできれば これだけとっちらかったストーリーにしては 意外によく出来ている とも言えるのだ

このハチャメチャなストーリは 夢落ち と考えれば分かり易い。エヴリンが転生するマルチバースの住人たちの得意技は 夫々 聞きかじった程度のレベルであれ 国税局での申告内容に出てくるし 彼女がいつも 夢見がちに虚空を見つめているシーンが多用されるのも象徴的だ
全宇宙にカオスをもたらす強大な悪 ジョブ・トゥパキは 現実世界では 同性愛者で 全く理解しあえない思春期の娘であり これこそが 女親にとって最強最悪の敵である
沢山の可能性の中で 常にハズレを引いてきたエヴリンは だからこそ最強なのだと 夫のウェイモンドは説明するが これは 同じ思いを抱え 白人社会で 差別と抗いながら 釈然としない毎日を送っている WASP以外のその他大勢 つまり決して主役にはなれない人々へのエールなのだ。正に ビバ! 多様性なのである。そう考えると アカデミー側の苦し紛れの贖罪の意味での授賞とはいえ この作品の7冠は 時代の要請であった とは少々 誉め過ぎか

この脚本は そもそもはジャッキー・チェンに当て書きされた というサイドストーリーがある
2012年に公開された『ライジング・ドラゴン』では 「これが僕の最後のアクション映画になります」というエンドロールが流れた。ジャッキーは公式に「どれだけ長く続けられるか自分の体に訊いてきました。そして僕はもう若くない という結論になりました」と語ったが その真意は アクション映画から引退するわけではなく 命にかかわるような危険なアクションシーンは 減らしていく とのことだったのだが いずれにしても あのジャッキーにしか出来ない偉大なアクションシーンの数々は今後 封印されるのだなぁ と 本当に泣けてくるくらい感慨深かった
この作品のハイライトである アクションシーンの数々は もちろん主演のミシェル・ヨーやキー・ホイ・クァンが 実際に動けるからこそ あるいは敵役の面々の受けの見事さによって 可能になっている という前提は否定しないが 最終的には そのほとんどがCG処理されており 件の『カンフー スタントマン』で描かれた生身の人間のトンでもないスタント~そしてそれは ジャッキー・チェンのプライドそのものでもあった とは 全くの別物である
そして 令和の時代には 昭和のこうしたアクションシーンの作られ方は ある種の郷愁のもとに語られる悪癖であり もはや時代が違う と バッサリ切り捨ててしまうのが今風なのかな とは思う。思うけれども つまらないな とも思う
『シン・仮面ライダー』の鑑賞時にも 同じことを思ったのだが 生身の人間が実際にやって見せる という凄みは かつて 映画を構成する上で とてつもなく重要なポイントではなかったか。例えば 人が戦う というシーンで あれは負けてもらってるんだ と はっきり分かってしまうような拙い演出に 誰が感動するのだろう。それは プロレスにしろ お芝居にしろ 映画にしろ 同じことである。やはり そこになにがしかのリアリティは必要なのだ。ブルース・リーは圧倒的だったし ジャッキーは そのリアリティに対する敗北を認めたからこそ アクションからの撤退を 潔く宣言したのだ。その結果として この作品への出演を 辞退したのである と いわし亭は 思う。いや 思いたい

まとめ
ん~ オーガニック! これには大笑いさせられた
大人の玩具を棍棒のように振り回しての 顔面殴打連発も メチャクチャ笑った
シュミット式バックブリーカーには 唸った
昭和のボンクラ親爺向きの作品である