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美女と野獣の純のレビュー・感想・評価

美女と野獣(2017年製作の映画)
4.2
美しい。夢と魔法が詰まったアニメーション世界が、これでもかというくらい忠実に描かれていた。実写化作品は、オリジナルに馴染みがあるひとほどなかなか踏み出せないのがお決まりだけど、今作はむしろ逆。アニメ版を何度も観たひとほど、大好きなシーンが現れるたびに心躍るだろう。

ディズニー映画の良いところはたくさんあるけど、22歳になって思う魅力は「ストーリーを知っていても感動できる」というところ。話の流れを知っているから、結末を知っているからといって楽しめないなんてことがない。同じ作品でも、観るときによって新しい感情に出会える。純粋な子ども時代だから抱ける憧れだとか、様々な経験を積んだ大人だから気付ける尊さだとかがあるのは、皆に響くテーマを美しく幻想的に魅せてくれるディズニーの力と、その美しさを感じられる鑑賞者の心の瑞々しさの、両方があってこその魔法なんだろうね。

ディズニー作品の中でも『美女と野獣』がお気に入りである大きな理由のひとつが、ベル。初期のディズニープリンセスとは違って、ベルは自立した女性として描かれる。シンデレラや白雪姫は言葉を喋るはずのないものとも何の疑問もなく話をするけど、ベルはまず疑う。でもその分、自分が見たもの聞いたもの感じたものをまっすぐ信じられる芯の強さがある。そんなベルに、エマ・ワトソンがピタリと役にハマっていて素敵だった。知的で美人のお嬢さん、最高だ。周りから変わってるって言われるくらいが、きっとちょうど良い魅力だよね。実写ならではの追加場面として、野獣との交流を丁寧に描いていたんだけど、そこでベルが本を朗読するのがすごく好きだった。歌も上手いけど、エマの知的なイギリス英語で語られる物語になりたいと思うくらい、朗読シーンには魅力がたっぷりある。

ただ、私の一生の憧れの図書館シーン、あの場面も忠実に描いてほしかったなあ。読書家というほどじゃなくても、本を読むこと、本屋さん、図書館が大好きな人間だから、贈り物が図書館っていうのは本当に本当に憧れてしまう。あとはあの台詞!言わないけど、あの大事な台詞はポット夫人じゃなくて野獣が言わなくちゃ駄目!この2シーンは少しだけ残念だったけど、アニメ版の永遠の魅力にしておくのも、まあ悪くないのかもしれない。

逆に、実写化にあたって、ベルの過去や野獣の歌が追加されていたのが本当に良かった。特に後者。しっかり野獣の心境が反映されていて、思わず胸が熱くなった。今回、ミュージカル要素の部分のクオリティがすごく高くて、オリジナル作品と同様に音楽がちゃんと作品と一体化しているのがすごい。再現度が高い、とは多くの鑑賞者が言っていたけど、歌・映像の再現度、そして追加場面のバランスの良さは本当にピカイチ。

そして、登場人物ひとりひとりを丁寧に描いていたのも好印象だった。中心人物だけじゃなくて、脇役もしっかり描いているし、伏線もきちんと回収している。ベルや野獣だけがこの魔法の世界を生きているんじゃなくて、全員が自分の人生を持ってるんだってことを示唆してくれる。だから、悲しいのも嬉しいのもベルや野獣だけじゃなくて、皆が背負っているもの、皆が慈しんでいるものなんだと分かる。

その中でも、家具にされてしまった召使いたちが「あの頃に戻りたい」って思いを吐露する場面にハッとした。やっぱり、私たちが持ちうる感情の中で最も強烈なのは、現在への愁嘆から生まれる過去への羨望だと思う。これは、歳を重ねるごとに実感する重みがある。過去は繰り返せないとどこかで自分を諌めながらも、確かに存在したその過去が期待を抱かせてしまう。私たちは過去に押し流されながら生きていく、なんて言うとあの有名なアメリカ小説を思い出すけど、まさに召使いたちは過去への回帰を、それだけを胸に、踏ん張ってたんだよね。ベルのいる新しい未来を待ち望みながら、手に入れたいのはあの頃に感じていた幸福感。過去に流される人間の姿って、見ようによってはみじめで愚かかもしれないけど、私はとても素直で勇気のある姿だとも思う。どんなにみすぼらしくても、いたたまれなくてもね。

最後に。久しぶりの映画館デイの最後の作品として、雰囲気たっぷりの夜に、ディズニーが大好きな友達とこの作品を観られたことを、すごく嬉しく思う。2年くらい前だけど、1番新しくオリジナルの『美女と野獣』を観たのも、この子とだった。素敵な夜に素敵な映画、そして帰り道に「素敵だったねえ」と語り合える素敵な友達の3拍子が揃って、まさに素敵の宝箱のような時間を過ごせたあの日にもう1度、ありがとう。
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