みかんぼうや

エンドレス・ポエトリーのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
4.0
“違和感が魅力的”だと感じるのは人間の本能か。常識的で予測可能なことに人は安心感を覚えるけど、時にそれは面白味の欠如にもなりかねない。一方、少なくとも自分の常識や価値観では計り知れない予測不能なできごとに対する違和感のようなものには、危険や精神的不安定さ、理解不能で突き放された感覚を持つことにもなりかねないが、時として「何が起こるか分からない」という魅惑と興奮という感情を本能的に持たせてくれることもある。

本作で感じたのは、まさにこの魅惑と興奮。本作で見せつけられるのは、自分の中の“映画の常識”では考えられない違和感の塊の連続。しかし、その違和感の連続が、完全に理解不能なものにならず、作品から突き放されることなく圧倒的に魅力的に見えたのは、ホドロフスキー監督の人生における自己の存在に対する苦悩や葛藤と家族との軋轢という作品全体を通して描かれる分かりやすい骨格が存在したことと、彼の人生における強烈な渇望を具現化した圧倒的にユニークで混沌とした観るものを惹きつける破壊力抜群のビジュアル表現があったからではないだろうか?

一見、あまりにも突飛で、一言で言えば、「ぶっ飛んでる」。自伝的映画として、自分の人生をここまで滑稽に皮肉った表現で描き上げてしまう。若かりし日の自分の歩んだ人生を、ある位置から達観して嘲笑い茶化しているようにも見える。しかし、ラストシーンで、その茶化しは強がりだったのではないか?と気づかされる。

凄まじい勢いとエネルギーに包まれドタバタと突き進む物語なのに、ふとした瞬間に彼が抱えてきた人生に対するもどかしさやコンプレックスのようなものが感じ取れ、生きることへの前向きで強い意志を説かれているのに、どこか切なさを感じる。その答えを本作のラストシーンに見た時、自分でも驚いたことに思わず目頭が熱くなった。この監督は、本当に父親に対する強い心残りを抱えながら人生を生きてきたのだろう。

この作品は、強烈な存在感を持つ父親のもとに育った中で生まれた、自己の存在意義に対する苦悩と、その父親という存在を受け入れることへの長きにわたる葛藤と懺悔を描いた、壮大な2時間の映像詩だったのだ。

前作「リアリティのダンス」(彼の幼少期を描いた作品)よりも、若き日のホドロフスキー自身にスポットライトがあたったこともあり、青年期の経験やそこで持つ感情が分かりやすく描かれていたこともあり、私は本作のほうが断然好み。

実はホドロフスキー監督作品は、この自伝2作品しか観たことがないので、この感覚を持った監督がどんな作品を撮ってきたのかとても興味があるのに、配信で同監督作品がほとんど公開されていないのが、ただただ悔しいところ。
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