岩嵜修平

エンドレス・ポエトリーの岩嵜修平のレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
3.7
エンドレス・ポエトリー

世界で唯一、ホドロフスキーだけが作り続けられる終わらない伝記映画

ホドロフスキー映画については、とうの昔に理解なんてものは諦めていて、只々、目の前で繰り広げられる刺激的で示唆的で狂気的で絵画的なイメージの移ろいを眺めるだけなのだけれど、お年を重ねられて尚、そのイメージは色合いを失わず、更に、それを具現化できる技術やスタッフまでを得て、CGなんてものに頼らずに形にしてしまっている。

作品自体は完全に、前作『リアリティのダンス』の続編。(続編どころか彼自身の人生を、そのまま追いかけている)

配役も前作と同じ役は同じ役者が(父親役はホドロフスキーの長男、母親役はオペラ歌手)、そして、本人役はホドロフスキーの末の息子が怪演。(とんでもない芸術一家!)

鬱屈した少年時代を描いた前作に続き、ホドロフスキーの詩人としての才能が開花した青年時代を描いている。

詩人としての成長譚と見ると、話は容易なように思える。出会うべき人と出会い、別れ、親の元を離れ、そのプロセス自体を肯定的に描くことで確執のあった父親を許す話。

しかし、そこはホドロフスキー。単純に思い出を辿るような描き方は決してしない。

首都サンディエゴで出会う店、出会う人が、映画の中で描かれるそのままなんてことは何1つ無いだろう。

全てはホドロフススキーの複雑なフィルターを通して映し出されている。

それはある種、異形とも言えるものばかりであるが、しかして、不思議と、目を背けたくなるどころか、釘付けにされていく。

空間自体が歪んでいるのかと思えるほど、異界とも言える景色が目の前に広がるが、それはホドロフススキー自身のイメージを元に現実世界に作り出されたものでもある。

そのリアリティとポエトリーの境で、自らの脳内をプロジェクションすることに成功している。

そうした自らの経験を通して観客に訴えかけてくるのは「生きろ!」というメッセージ。

対比的に描かれた従兄弟の行く末は、本人にも当然にあり得た末路。

その登場人物の多くが死の香りを漂わせながらも、結局は他者との出会いを通じて生きながらえていく。

齢90を超えた、唯一無二の映像作家が、自らの人生を捧げて描き出そうとするもの。

それをスクリーンで観ないなんて、もったいない。




(以下、軽くネタバレ)

ちなみに、母親とインパクト絶大な女性アーティストが同じ役者と、本編を観終わった後に読んだ雑誌記事で目にして、驚愕している。

そこには、彼自身の人生を大きく変えた存在に母性に近しいものを感じたからか、彼自身の童貞を卒業させた存在であることに通じるのか。

オープニングの、実際にある街並みの中で、家々に、かつての街並みの写真のコピーが重ねられていくシーンとか、ラストシーン近くの血と骨が入り混じる祭りのシーンとか、最高だったなぁ。

シリーズを作り終えるまでに本人の年齢に追いつけるか分からないけど、本人は作る気満々だと思うんで、思うがままに作り続けて欲しい。

絶対に見守り続けますぜ!
岩嵜修平

岩嵜修平