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エンドレス・ポエトリーのTOSHIのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
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やはり人間は老いると人生を振り返りたくなるのか、88歳になったホドロフスキー監督の新作は、自叙伝的作品「リアリティのダンス」の続編だった(続編を望む世界中のファンから、クラウド・ファンディングで資金が集められたという)。しかし前作でも感じた事だが、懐古主義などではなく、ホドロフスキー監督の内面で、少年時代や青年時代の感覚が現在もビビッドに息づいている事に圧倒される、驚くほど人生に対して前向きな作品だった。前作に続いて、ホドロフスキー監督自身の父親役を実の長男が演じているが、青年になった自身を四男が演じている。

故郷であるチリのトコピージャを離れ、首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家。自分の店の万引き客には容赦なく暴力をふるい、自分の事も支配しようとする父親・ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)との関係に悩むアレハンドロ(イェレミアス・ハースコビッツ)は、ガルシア・ロルカの詩と出会い詩人になる事を決意するが、従兄・リカルドの紹介で、アーティスト達が集まる家に連れて行かれる。そして、後に世界的詩人となるエンリケ・リンやニカノール・パラの他、バレエダンサーや画家等、アヴァンギャルドなアーティスト達と交流する事になる。
冒頭から、監督本人が自分を演じる役者に話しかけたり、母親・サラ(パメラ・フローレス)のセリフが全てオペラ調になっていたり、役者に物を渡したり受け取ったりする黒子が映されていたり、監督自身の人生でありながら虚構感が全開だが、虚構である事をさらけ出した上で、観客を引き込む事こそ、映画のあるべき形だと思う。
劇中に登場した監督が、過去の自分に「生きろ。生きるんだ」と伝えるが、アレハンドロはアーティスト達との交流で、自分が囚われていた心の檻から解放され、より心のままに生きるようになって行く。

青年になったアレハンドロ(アダン・ホドロフスキー)は、パラの詩集に出てくる毒蛇女のような女性との出会いを求めて行ったバーで、まさにそのモデルである女性詩人・ステラ・ディアス(パメラ・フローレス二役)と出会い、初めて恋に落ちる。真っ赤な髪で、豊満な肉体に奇抜な服装のステラのオーラが強烈である。二人は、詩と酒と愛欲の日々に溺れる。
しかしリカルドの死、エンリケの恋人と関係してしまう事などを通じて、アレハンドロは、サーカスの道化師となって、自分の人生を見世物に仕立てて行く…。アレハンドロの過去の浄化と、自己の確立を思わせるラストに感動させられた。

リアリティのダンスは、少年期のトラウマを創作によって芸術に昇華させたとも言える作品だったが(ホドロフスキー監督は、独自の心理療法としてサイコマジックと呼んでいる)、本作では青年期を、画面一杯に広がるカーニバルのような極彩色の色世界で、より過激により美しく描いており、奔放なイメージの奔流に圧倒された。そしてどこか、暖かさや優しさが感じられる事が印象に残った。映像には、ホドロフスキー監督と初めてタッグを組んだ、「恋する惑星」等で有名な撮影監督・クリストファー・ドイルのセンスが溢れていた。自叙伝的な内容に加えて、豊満な女性・小人・道化師が登場する事など、ホドロフスキー監督が敬愛するという、フェデリコ・フェリーニ監督を彷彿とさせる作品でもあった。

ホドロフスキー監督と言えば、エロスと血の刺激に満ちた、神秘主義的かつ幻想的な映像世界で、既存の価値観を破壊して行く映像作家の急先鋒というイメージだったが、ここに来て、シュールレアリストの本質はそのままに、過去を癒す事で、父親や世界そのものを許したかのような、人生を強く肯定する作品を作った事に感銘を受けた。描かれているのは80年前の出来事だが、紛れもなく現代を生きる人に向けた強いメッセージが感じられた。とにかく観ずにレヴューなど読んでも仕方がない、劇場で唯一無二の映像世界に身を任せ、自分なりに何かを感じ取るべき作品だ。

追記。ホドロフスキー監督はまだ何本か、メキシコで映画監督になる物語等、自叙伝的作品を撮る予定のようだ。
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