TOSHI

家族を想うときのTOSHIのレビュー・感想・評価

家族を想うとき(2019年製作の映画)
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「ケン・ローチ監督って、引退したんじゃなかったっけ?」と思ったが、こういう前言撤回なら大歓迎だ。ローチ監督には、映画を撮り続ける義務があるのだ。引退作となる筈だった前作「わたしはダニエルブレイク」で、フードバンクを取り上げる過程で、不安定な条件で働く労働者に触れた事で、構想が膨らんだようだ。

イギリスのニューカッスル。銀行の取り付け騒ぎで住宅ローンが流れて家を失い、借金を抱えて賃貸暮らしのリッキー(クリス・ヒッチェン)は、建設関係の職を転々として来たが、友人に紹介された宅配ドライバーの仕事を始める。責任者のマロニー(ロス・ブリュースター)は、会社との雇用関係ではなく、個人事業主としてのフランチャイズ契約だと言い、勝つも負けるも自分次第だと説明する。
早々に配達車は持ち込みにするか、レンタルにするかという問題が浮上し、会社からのレンタルは、ローンより割高な事から、リッキーは妻・アビー(デビー・ハニーウッド)の車を売ってまで、購入の頭金を用意する事になる。アビーは在宅介護士の仕事をしており、必需品の車を失う事で、非効率なバスでの移動を強いられる。
リッキーも、常に通信機器で時間内に配達できているか管理され、できなければ罰金を科せられるため、トイレに行く時間も無く、ペットボトルで用を足す。また荷物の受け取り拒否や、不在にも悩まされる(原題のSorry We Missed Youは、不在通知の文句)。
実際に労働者として働いて来たという、ヒッチェンとハニーウッドが、説得力をもたらす。映画俳優に求められるのは演技力よりも、スクリーンにおける存在感なのだと再認識する。本作に必要な存在感は、本当の生活者にしか出せないという事だろう。

非常に切実で、イギリスに留まらない普遍性を感じさせる設定だ。リッキーは債務リスクが極限である上に、体力的にも限界であり、更にプライベートでは、息子のセブ(リス・ストーン)が反抗期で、仲間達とスプレーで落書きするグラフィティアートに没頭しているという問題を抱える。リッキーの破滅と背中合わせな生活状況が、映画としての緊張感を生む。
娘・ライザ(ケイティ・プロクター)の可愛いさが、アクセントになると同時に、安定を与えられない子供の悲痛を感じさせる。ある事件を機に、リッキーは益々追い込まれて行くが…。

タイトルからは、ハートフルな内容が想起され、確かにそういった作品とも言えるが、安易な“心温まる映画”では全く無い。全編を通したネガティブスパイラルで、ひたすら現実の厳しさが突き付けられ、自由な働き方のようで、個人を搾取する現代の社会的システムの欺瞞が抉り出されている。ローチ監督が前言を撤回して、現役を続行するなら当然、そうでなければいけないのだ。家族を守るために何と戦えば良いのかが分からなくなる終盤は壮絶で、打ちのめされる。

経済的状況や抱える家族によって、この世界の一つの地点でしか生きられない人が多数になっている現代を切り取り、直接、社会を変える事はできなくとも、現代に生きる人の意識を幾許かでも、変える作品だ。
「読まれなかった小説」で、私の今年のベストワンと書いたが、私も前言撤回したい。本作がベストワンだ。
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