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エンドレス・ポエトリーのKUBOのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
3.6
完全に『リアリティのダンス』のラストシーンから始まる。

少年期のホドロフスキーを演じる少年が、リアルタイムの時間の流れで身長がグッと伸びているところはリアル。だがその後、青年期と切り替わるところで役者がホドロフスキーの末の息子に切り替わる。

父ハイメ役は長男、ホドロフスキー役は末っ子、ホドロフスキー本人も顔を出すし、まさに家内性映画産業。

冒頭は前作同様の凝りに凝った映像で始まるので前作と同じような熱量を期待したが、前作はほぼホドロフスキーの父親の奇想天外な半生のとんでもない情報量を凝縮した作品だったのに対して、本作は青年となったホドロフスキー本人のサンティエゴでの詩人としての生活に焦点を当てており、完全なる続編ではあるが、展開ものんびりしており比較的穏やか。

作品前半を引っ張るのはやはりパメラ・フローレス! ホドロフスキーはよほどこの人好きなんだろうなぁ。引き続き母親役でもあるのだが、今回は一人二役で青年ホドロフスキーを誘惑するセクシーな女流詩人ステラ役も演じている。前作でも放尿シーンを含むまさに体当たりの熱演だったが、露出は本作の方が上。その豊満なバストをこれでもかと見せつけ、デブ専狂喜乱舞かも? パメラはホドロフスキーのミューズなのでしょうね。

それにしても、初恋の人役も母親役と同じパメラにするし、焼け跡から唯一拾ってきた母親のコルセットを風船につけて空に飛ばすとか、ホドロフスキーはマザコンだったんだろうな〜。

前作でも母親の放尿シーンには絶句したが、本作でも生理中の小人の女性と血塗れになりながらのセックスシーンとか、どう捉えていいのか再び絶句。

心が清らかな方には偏見のないフリーセックスみたいに捉えられるのかな? 私にはやはり変態まがいに見えてしまって、あえてこういうシーンを入れるホドロフスキーの真意はわからない。

この小人の住む部屋が真っ赤だったりするのは、デヴィッド・リンチへのオマージュ?

また、映画全編に黒子が登場したのには驚いた。

ラストも前作同様の演出で、港からパリへと旅立つシーン。

「何も与えないことで 全てをくれた。
愛さないことで愛の必要性を教えてくれた。
無神論で人生の価値を教えてくれた。
すべて許すよ、ハイメ。」

この映画は、実際にはその死に目に会えなかった父ハイメを、ホドロフスキーが許すための映画だったのか。

まだ詩ばっかり書いていて、映画作りにはつながらない。もう1本作るつもりかな?




*『リアリティのダンス』ではボカシは一切なかったのに、同じ監督の続編なのに本作ではボカシ入り。どこで線引きが変わるの? 謎。
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