青いむーみん

ゴーストバスターズの青いむーみんのネタバレレビュー・内容・結末

ゴーストバスターズ(2016年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

 84年版はほとんど記憶に無い状態で鑑賞。笑える部分はあったし、しょうもないツッコミをしても仕方ない作品なんだろうなと思うけどルールがなさすぎて楽しめなかった。
 そのルールとは映画的ルールのような映画製作のロジックではなく、ゴーストというものの定義だ。ゴーストには人型もあれば化物型もあり、人が死んでゴーストになる場合もあれば生まれた時からゴーストであるようなものまで存在しているように見える。日本で言えば妖怪もゴーストに含んでいるような定義だ。それだけならまだ幽霊と妖怪を一緒くたにしたのかと理解できるが、人に憑依して集団を操ることもできるとなるとわけが違う。超能力の部類だ。そうなるとゴーストはなんでもできる存在であり、ゴーストバスターズの4人を操ることなんて造作も無いことだ。実際にアビーは一度憑依され操られる。それを想定して被操作処置としての道具が出てこない。あれほど金の制限も時間の制限も感じないほどの未知の道具が一人の手で制作されているのにもかかわらず。
 その製作者マッドサイエンティストホルツマンは天才どころの騒ぎじゃない。あの道具の無制限のエネルギーは永久機関でも創りだしたかのようだ。その他にも違和感を感じる部分がある。
 エレンは市町の元を一人で訪れ追い返されてゴーストの襲来に会ってタクシーで研究所に帰ろうとするが拒否される。その間にアビー達三人は出動。そしてアビー達が危機に貧した時に武器、スーツを身につけて参上。ここが無茶苦茶。武器・スーツは研究所にあるか、社用車に積んでいるかだが社用車は乗っ取られているので不可能。では研究所に戻ったとするとその描写がない。乗車拒否の描写があるなら絶対に入れないと話がつながらない。というかそこを見せないなら最初から乗車拒否の画を入れるな。前作を模してるなどの描写だったとしても先述と同様、何かで戻った描写がないとおかしい。
 ライブハウスでゴースト収納のシーンでアビーがダイブしてパティも倣ってダイブして落とされる。そのあとパティが立ち上がって肩にゴーストが乗っている状態になるまでの時間の流れがぶつ切り。非常に気持ち悪い繋がり方をしている。
 核兵器をぶち込んだところに友情で飛び込んでいくエレン。これは本当に決死の覚悟が必要だ。もし生き残ったとしても健常者としての生活はままならないし、数年で没してしまうだろう。それを鑑みることなく飛び込んだエレン。素晴らしい友情だ。涙を禁じ得ない。シンゴジラで矢口が被爆を鑑みることなく前線に立ち続けた覚悟を思い出す。彼女はあれとは比べ物にならないレベルの被爆をするのだ・・・すると白髪になった二人が帰ってきた。さすがアメリカ。核は最強火力の武器としか思ってないだけある。
 この全員ボケしかでてこないコメディ映画はハリウッドのちゃんとして脚本の教科書どおりに作られていると思う。3幕の方式は明確だし、例えばナイフの使い方などのフリがあってオチがある作りもある。しかし上記した要素に関しては非常にいい加減だ。核兵器に関しては別にこういう扱いをしたからといって怒ってるわけでもない。ちょっと呆れてるけど。その他の点にかなり不満足。コメディだからと言っていい加減に考えている部分が多すぎる。真面目にふざけないとダメ。丁寧に作って信じさせてくれないと何も楽しめないよ。コメディはいい加減でいいなんて発想は昭和で終わってくれ。
 オジーの偽物だけちょっと笑えたよ。