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セバスチャン・サルガド 地球へのラブレターのmanamiのレビュー・感想・評価

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ブラジル出身のセバスチャン・サルガド。進学のために都会へ出たものの、それまで自給自足の村で育ったために最初は現金の使い方すら知らなかったという。学生時代に一目惚れしたレリアと結婚すると、彼女が仕事で使い始めたカメラに、彼の方が心を奪われることとなる。そして安定した職を離れ、写真の道へ足を踏み入れるという選択をする。
ここまでを駆け足で紹介した後、彼の行動と思考の軌跡を淡々と述べていく。
酒、音楽、走ることなどさまざまな文化・風習・特徴を有する部族の生活に密着しながら撮影する。ジェノサイドにより150kmにもわたって無数に転がる遺体にカメラを向ける。彼はその時その時に決めたテーマに沿ってそのつど何年間も旅を続け、残したい被写体を追い求める。
私が特に印象に残ったのは、サバンナに広がるルワンダからの難民キャンプでの写真。数日で100万人が集まってきたという巨大な集落の中、「母と子どもの絆と、子どもから母への信頼」を感じたという1枚は、確かにそのメッセージそのものと言える強い感情を発している。
1945年8月14日、占領下のドイツで誕生した監督としても、胸に迫るものがあったのではないか。
直視するのが辛くなるような場面が非常に多く、そんな「憎しみが広がる瞬間」を数十年間も目の当たりにし続けたサルガドが、心を痛めてしまうのも無理はない。しかし彼の人生は、カメラと写真に支配されるだけでは終わらないところが素晴らしいし、実に映画的でもある。
そして家族を励ますためのレリアの提案から始まった植林活動。インスティチュート・テラと名付けられたその森は、私有地からついには国立公園として認められるまでになる。原題にも繋がる「人間は地球の塩だ」というのは冒頭で語られる一節でありながら、人間も自然の一部であるという後半の内容にも重なる。
としみじみ思わされるにつけ残念さが増すのが、この邦題。サルガドのドキュメンタリーなのでその名を冠するのは良しとしても、なんでわざわざこの言葉を切り取ったのか?原題にしたがって『地球の塩』にしといてほしいわー。

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