セバスチャン・サルガド 地球へのラブレターの作品情報・感想・評価

「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」に投稿された感想・評価

ヴィム・ヴェンダース監督が描くドキュメンタリー映画。全編に渡りほぼサルガドの独白で映画は進行してゆく。時おり、息子や妻、父そしてヴェンダース監督の言葉で綴られるが、それはサルガドのストーリーを保管する役割だ。
個人的には監督が画面に登場して、その存在感を示すのはあまり好きではないが、ヴェンダース監督はさり気なく登場するのであまり嫌味になっていない。
さて、サルガドという写真家を追ったドキュメンタリーは、その息子のジュリアーノも「人間」として追い続ける魅力的な人物だ。サルガドは大いに愛に溢れる人物だということが見ていて伝わってくる。
サルガドが見てきた報道写真家としての人間の闇(苦痛)、そして自然写真家としての自然や動物の営み(歓喜)には確かに共通項が見出される。
それにしても、サルガドの写真は圧倒的だ。自身も語っているが、そこに動きが感じられることや背景が良いことで、一瞬の切り取りが永遠となっている。
ちなみに、サルガドの使用しているカメラはCanon 1Dや5D。同じカメラを持っているはずなのにこの違いといったらない。
zak

zakの感想・評価

2.8
写真家セバスチャン・サルガドを追ったドキュメンタリー映画。
その時代によって様々な顔を持つ。

・写真家兼冒険家の顔。
・報道写真家の顔。
・そして、自然写真家の顔。

その時代によって被写体は変化していきますが、彼自身は一切ブレない。

さながらロードムービーを観てるかのようですが、語り口は終始静かで、一見すると退屈で単調に感じてしまう映画。
なので疲れてる時に観ると寝ちゃう可能性があるので要注意です。(自分は実際寝落ちして3度目の鑑賞…笑)

ハッキリ言って万人受けする映画ではないのでオススメはしませんが、彼の写真は迫力があると言うかパワーが溢れています。
しかし目を背けたくなるような写真も多いので、観る側にも覚悟が要求されるかもしれません。

いずれ元気な時に再鑑賞したいですね。(笑)
背景と動きと表情
一人の写真家の遍歴
毎回テーマ決めてるの偉いなー
どんなドキュメンタリー映画よりも本当の世界の残酷さと美しさがあった。

写真がどんなもんか、写真を知らない人でもわかる

映像と写真とサルガドの語り

人間の歴史は戦争
終わりなき狂気、凶器の歴史

木はすべてのみなもと
水も酸素も木から生まれる

我々は同じ細胞から生まれている
カメもイグアナ、ゾウキリン

いいこという。
ホープ

ホープの感想・評価

4.1
写真とかって、結局写真だと思ってたんだけど、何かの本で目を奪われた写真があった。それがセバスチャンサルガドだった。
この人の写真は、なんていうか…すごい。彼の目を通して、世界を見てみたい。例えそれがどんなに辛く苦しい現実でも。
ダイナ

ダイナの感想・評価

3.6
言葉を失うほどの写真の数々。

壮絶な写真を目の前にして
同じ時代を
呑気に過ごしていた自分を
恥ずかしく思った…

これは、神の眼を持つ写真家
セバスチャン・サルカドの
写真家としての変遷を
映したドキュメンタリー。

サルガドの事前情報がなかったので
パッケージから動物の写真が
多いのかと思ったら予想外の展開。
自分には苦しい場面が多かったです。
s

sの感想・評価

4.2
改めて地球は広いのだと感じた。
世界のどこかで当たり前にあった光景が、サルガドの写真により目前に迫ってくる。
またいつか見たい。
ぼく

ぼくの感想・評価

3.9
恥ずかしながらヴィム・ヴェンダース作品はお初でした。写真家セバスチャン・サルガドを通して坦々としかし鋭く“人間”を描いています。
furafura

furafuraの感想・評価

4.0
初日に観た数少ない映画。
渋谷文化村、平日なのに、品の良い人達で満席。
みんな仕事なにしてるんやろう、と思いつつ観た。
TaTumin

TaTuminの感想・評価

3.0

このレビューはネタバレを含みます

「写真家(フォトグラファー)の人生の映画?
では言葉の意味から始めてみようか
ギリシャ語で″フォト″は「光」
″グラフィン″は「書く」「描く」
″フォトグラファー″とは「光で描く人」を指す
光と影で世界を描き続ける人のことだ」
(ヴィム・ヴェンダース)

1969年、パリで経済学を学んでいたサルガドの人生に、カメラを与えたのは妻のレリアだった。レリアは建築を勉強していて、建物を撮るためにあるときペンタックスSPを購入した。サルガドは妻のカメラを借用しているうちに写真の魅力に気づいていった。

1971年から夫婦でロンドンに移り、サルガドはコーヒー産業にまつわるエコノミストとしてたびたびアフリカの農園に赴くことになった。国際機関の事業に参加し、経営指導や栽培導入のプロジェクトに関わった。その合間に写真を撮っていたが、2年後、彼は職を辞してパリに戻り、写真家として本格的に活動を始めた。撮影機材に私財を費やした。レリアは、やがて父の仕事を映像化し、そこに新たな光を与えることになる長男を産んだ。
そしてサルガドとレリアは、自分たちの時代の緊急課題の一つ、戦争や飢饉による「人口の移動」の追求に、持ち得る知識と経験の全てを傾注していった。

サルガドとレリアの出会いは、二人が傾倒していたブラジルの反政府運動の渦中でのことだった。60年代特有の熱狂が結んだ関係で、頭でっかちな日本の若者たちには到底たどりつけなかった持続的な関係をミニマムに体現している。

サルガドとレリアの仕事を代表的する『ワーカーズ』の出版は、世界の人々の目を開かせた。

ルワンダの悲劇を撮り終えて、一時途方にくれたサルガドの関心は今、自然に移っている。
レリアの「森を作り直そう」という少しイカれたような一言から始まった。
実際は少しもイカれてなどいなくて、具体的には大西洋岸森林「マタ・アトランティカ」(600ヘクタール)を植林し、再生に導くことを彼女は提案した。彼女の提案は有無を言わさぬ力でセバスチャンの目を絶望の淵から引きずり戻した。
セバスチャンは、はじめて人間の外にレンズを向けた。

かつて父に強いられた勉学、妻に与えられたカメラ、仕事先で目にした人々の悲惨な現状、光と影、覗きこむ者を容赦なく引きずりこむ闇、また光、そして自然とともに生きる原住民と怖れのない動物たち、蘇る野生の力……山あり谷あり、狂いもあっただろう、その全ての要素が今日の写真家セバスチャン・サルガドを構成している。彼の光が照らすものたちに彼は生かされている。

2009年、サルガドはゾエ族(アマゾン川流域の先住民族、1980年代に発見)を撮影した。
保護局からは物を与えることを禁じられていたが、ゾエ族の一人は彼に言った。
「帰る日に飛行機の窓からナイフを捨てて。
飛行機の軌道を追ってナイフを探すよ」

「一つのサイクルを作る。その中で私とレリアの人生が過ぎていく。ここは我々の歴史だ。今は老いた私の物語を紡ぐ。いつか死ぬ日が来たら、私が受け継いだこの森を残すことになる。森はサイクルを完結させる。私の人生の物語を。」
(セバスチャン・サルガド)
>|