純

湯を沸かすほどの熱い愛の純のレビュー・感想・評価

湯を沸かすほどの熱い愛(2016年製作の映画)
4.1
オダギリジョーに涙一筋持ってかれてしまった。ザ・余命ものって感じの大筋の展開はありきたりなんだけど、ひとりひとりが抱える過去の重みや「失ったもの」が一味違う魅力を生み出していたように思う作品だった。

本当にひとりひとりの設定が綿密に組まれていて、誰もがそれぞれの孤独を感じているような印象を受ける。末期ガンを宣告される主人公双葉も、学校でいじめを受ける安澄も、1年前に蒸発して昔の女との間で生まれた幼い娘と暮らしていた夫も、その娘鮎子も、皆ひとりで抱え込むしかない孤独とずっとずっと闘っていた。どうしても不安や悲しさに負けてしまう(という表現をあえて選ばせてもらう)子どもたちと、決して負けないよう、踏ん張り続ける双葉の生き方がどちらも尊くて、何度も胸がいっぱいになった。

双葉は安澄に「お母ちゃんも弱いんだよ」って言うけど、彼女は本当に強いひとだと思う。弱い部分もしっかりある上で、こんなに強く生きられるひとは、こんなに最初から最後まで周りのひとを愛し尽くせるひとはいるのかな。ガンが発覚する前(手話を教えていたところなんかは映画では描かれていないけど、どんな心境でそうしてきたのか考えると、深い愛に感動するというよりもむしろ胸が引き裂かれそうになる)もした後も、彼女が家族のために為してきたことはすべてその大きな愛によるもので、決して見返りを求めない、絶対に諦めない姿勢を最後まで貫いた。本当は誰よりも誰かの助けを必要としていたのに、その辛さを知っているからこそ、周りのひとに自分が必要とする何倍もの優しさと愛を分け与えてきたんだろうな。

双葉の過去を知るまで、彼女があまりに勇敢だから、私はたまに怖くなってしまうくらいだった。学校でいじめられる安澄の話を聴くことなく、「1度でも休んだらもう一生行かなくなるよ!」と言って無理やり学校に行かせようとしたり、衝撃の過去を突然知らされたにもかかわらず心の準備をする時間も与えずに向き合えって強く言ったりするところとかね。もちろん目をそらさずにいることは大事だけど、この子は初めからそうしていたわけではないと思う。違うと思う。双葉は作品中何度も安澄に「逃げちゃ駄目」って言うけど、逃げることと闘わないことは一緒じゃない。安澄は闘ってたよね。双葉がいじめに気づくまでずっとひとりで闘ってた。学校には誰も味方がいなくて、でも誰かのせいにできるくらいひとを傷つけることもできない優しい子で、「いつか終わりますように」って祈って、家族に心配かけないようにばれないように振る舞って、そうやってずっとひとりでいじめと孤独と闘ってきた。学校って場所は本当に酷で、何の法律も決まりもないのに、暗黙の了解でクラスメイトの中で優勢と劣勢がはっきりしてしまう。心細くて泣きたいときもたくさんあったはずなのに、ずっとずっとひとりで我慢してたんだなって思うと「頑張ってるよ、安澄ちゃん、逃げてないよ!偉いよ!」って言いたくなった。なんて言うと、無意識のうちに「寄り添う」姿勢じゃなくて「上から見る」姿勢になっちゃってるのかなあだとか、こういう「あくまで自分は当事者じゃありませんけど」っていう第三者の態度がいじめがなくならない一要因でもあるのかもしれないのに結局私は偽善者だなあだとかも頭をよぎって、何とも言えない気持ちになるんだけどね。まあそれはともかく、子どもの話を聴かずに「逃げるな」って抑圧をかけるだけなのはあまりに酷なんじゃないかと思ってしまうところはあった。でも、それでさえ双葉の愛ではあるんだよね。安澄がこれから自分がいなくても立ち向かえるように、閉じこもらないように、心を鬼にできた彼女は、やっぱりすごい。たとえそれが自分のものさしで計った正義だったとしても。

下着の伏線も私は好きだった。実際問題あんなことができるかどうかは別にして、安澄ちゃんがあの方法でいじめに立ち向かったのは、「お母ちゃんとなら闘える」って思えたからなんだろうと思えるから。「いざというときのためにきちんとした下着持っとかないと恥ずかしいんだから」。こんな会話は母娘でしか交わせないし、これから彼女が成長するにつれて母親に聞きたいことはたくさん増えていくはずなのに、もうそのときには双葉はそばにいてあげられない。そう思うと、双葉なりの母親としてのエールが、頼もしいのにすごく切ないもののように感じた。

だめだめな夫が連れてきた鮎子ちゃん、私はこの子にもかなり揺さぶられた。幼くて純粋な鮎子ちゃんは、諦めきれなくて、信じたくて、受け入れ難くて、っていういろんな正直な気持ちを胸に秘めてるのに、ひとりで抱え込むしかなかった。口ではどんなことでも言える。それでも、「血が繋がっていない」という変えようのないたったひとつの事実が、どうしても双葉たちとの間に壁を作ってしまう。双葉が制服を盗まれた安澄の帰りを待つときに鮎子ちゃんがぼそりと言う、「どうして待ってるの」の一言に、双葉は「とっても心配だから」と応える。そして、無事に制服を取り戻した安澄と抱き合う双葉の姿を見る。あのとき、どんなに鮎子ちゃんが心細くて、羨ましくて、悲しくて、孤独だったか。「自分だとしても待ってくれていたのかな」「私でも同じように抱きしめてくれたかな」「私だってお母さんに会いたいのに」そんな気持ちを抱えていたであろう鮎子ちゃんの行動はひとつひとつが本当にいじらしくて素直で、鮎子ちゃんが泣くたびに、謝るたびに、痛い感覚が胸を刺した。

家族以外でも、登場するキャラクターがいちいち素敵なのもずるい。細かくは触れないけど、冒頭で言ったように皆何かを失っていて、でもこれまでずっとその穴を塞ぐことができないまま生きてきていた。そんなひとたちが双葉との出会いを通して、彼女という新しい喪失を経験しながらも、小さな、大きな、大胆な、ささやかな、それぞれの1歩を踏み出してこれからを歩いていく。その様は儚さの中にも力強さがあって、とても前向きな気持ちにさせてくれる。

そして、オダギリジョーの「調子の良い夫」っぷりが板につきすぎだった。憎めない。あんなにだめだめで最低で意気地なしで臆病で責任感のない奴なのに、誠実な態度で泣きながらあんなことするから、普段泣かない私でも一筋涙を流しちゃったじゃん!やっぱり、どんなにダサく見えても、泥臭くても、一生懸命にがむしゃらになってまっすぐぶつかる姿は尊い。ひとと一緒に生きるって、こういうことなのかなあとも思う。伝わらないかもしれなくても、どうしようもなく伝えたい思いを全力で相手にぶつけて、お願いだから伝わってほしい、0.1%でも君に届いてほしいって、そういう思いを1度でも抱けたら、それが誰かと生きた証なのかもしれないね。

最後のタイトルのフォントの意外性と、純粋に「え、どうなってるの?!」と思わずにいられないラストに少し拍子抜けしてしまったけど、痛くて火傷しそうなくらいの熱い愛に溢れていて、間違いなく観て良かったと思える作品だったし、エンディングのきのこ帝国の曲がまた雰囲気を出していた。悲しみが沁みるのと同時に、頑張ろうと前を向ける、特別な力がある映画だったように思う。

映画では触れられていなかったことだけど、双葉みたいに自分のために使っていいはずの優しさを周りに分け与えて、誰にも悲しみや苦労を知られないように隠す生き方をするひとが、いつか溜め込んだ辛い気持ちや弱さを静かにそっと誰かに汲み取ってもらえたら良いな。
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