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ポプラの秋のamのネタバレレビュー・内容・結末

ポプラの秋(2015年製作の映画)
1.4

このレビューはネタバレを含みます

原作と比較して。
千秋は医師に入院が必要と診断されるほどの強迫性障害で、頑張り屋なせいで空回りして悪化するような細やかで真面目な性格なので、ちょっと明るすぎるのと、全体的にオーバーリアクションなのと、顔芸が過ぎるから笑わせるつもりのおもしろ芸人キャラになってしまってるのと、すぐにおばあさんに対してあっけらかんとしてて話の食い付きが良く大人受けを狙って懐きすぎてて違和感がひどい。読解力の問題や解釈から間違ってるのか、演技が下手すぎる。
千秋は子供という記号ではない。元々何を考えてるかわからない無口な裁判官のお父さん似で強迫性障害まで患ってるから、千秋本人は子供の無邪気な明るさやおもしろさとはかけ離れてるはず。いじらしいという言葉が似合う。
原作ではおばあさんの方が変で剽軽でからかってきたりして、千秋の方がいなしたり適当に流したり怖がったりおもしろがったりしてる。通常とは役割が逆。
千秋の深刻さが薄れたので、おばあさんのおかげで手紙を書いてお父さんと対話することで不安と向き合ってお父さんの死を受け入れて救われるという良さが失われてしまった。
原作通りだが千秋の他人宛の手紙を本人の許可無く他人が他人に見せるので、このおばあさんを信用して手紙を預けるのは間違っているのに、たくさんの人が信用して預けている事実。子供と保護者の間柄でも問題では。信頼関係が築けない。
最初に持って行った薬の量が少ないから自殺のほのめかしに見えない。千秋の相手の人がお父さんと全然違って絶対におかしい。千秋が苦手と言っているタイプだ。
あと千秋は大人になる過程で子供騙しで励ましてもらったんだと感じていて、お葬式で他の人にも同じことを言っていろんな人に手紙をもらってるのが本当だったことにびっくりしてたけど、映画ではそれがあまり伝わらなかった。
映画化するにあたって、おばあさんの死後におばあさんと千秋の人間性がよくわかって驚かせるというのを狙う展開より、特に変えずに最初から普通にわかりやすい方が二人に愛着が湧いて良かったような。うける映画の形を真似たのか、演技の問題なのかわからない。
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