OASIS

或る終焉のOASISのネタバレレビュー・内容・結末

或る終焉(2015年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

ターミナルケアを専門とする看護師が、死を間際にした患者と関わる姿を描いた映画。
監督は「父の秘密」のメキシコの新鋭マイケル・フランコ。

同じく人生の最期の瞬間を見届ける人物が主人公の「おみおくりの作法」に類似する点が多々あり。
ただ、看取りという部分についてはかなり違うアプローチで、寧ろそれへの強烈なアンチテーゼとも言えるテーマを含んでいると思えた。

看護師のデヴィッドは、ターミナルケアを専門とする訪問看護事務所に勤め死が目前に迫った患者と関わる事を仕事としていた。
ナディアという女性の後を車で追いかけ、ネットで写真を漁る。
その模様を車載カメラで長回しで捉え続けるオープニングは、デヴィッドがもしかしたらナディアに良からぬ想いを抱いているのでは?という不安を呼び起こす。
後に彼女が別れた元妻との娘であると判明するのだが、その説明が無い為に危ない予感が漂っていた。
作品自体も、全編を通して説明し過ぎない作風の為常に違和感が付きまとうような気持ち悪さがある。

デヴィッドは、エイズ患者のサラ、元建築家のジョン、化学療法を受けるマーサの三人と関わる事になる。
お風呂場で介助する場面が三人とも挿入されるが、サラは痩せ細って骨が浮き出た身体、ジョンは思うように手足が動かない身体、そしてマーサは便を漏らしてしまう羞恥の瞬間と、好んで見たくは無いがいずれかは見てしまうであろう姿を包み隠さず突き付けてくる。
ペドロ・アルモドバル監督「トーク・トゥ・ハー」の様に芸術的な画では無く、ミヒャエル・ハネケ監督「愛、アムール」の様にそこに愛を感じるでも無い、ただそこに座り寝そべる者を感情の波を立たせずに黙々と処置を施す、そんな淡々としていて乾いたやりとりが続く。

「妻に先立たれて21年」と周りに漏らしたり、妻の名前を「サラ」と言ったり、ジョンと同じ建築家であると名乗ったり。
平気で嘘をつくデヴィッドの本心や胸の内は厚い膜を張ったようで覗こうにも覗けない。
息子のダンがガンで亡くなったというエピソードがほんの僅かに台詞で語られるくらいで、デヴィッドの過去については謎な部分が多かった。
息子を亡くした事に対しての償いなのか、生者が死者に変わる瞬間の一瞬の光みたいなものに触れていたいのか。
それが曖昧である為、それと患者の最期を看取ろうとする行為はリンクしているようでいて微妙なズレがあるような気がした。
ジョンへのセクハラ疑惑も、果たして意図的だったのかそれとも濡れ衣だったのかという点も殊更に強く否定する訳でも無いので本当はどっちなのか?と気になる部分でもあった。

ジムや街中のジョギングだけが趣味であるデヴィッドは、訪問看護とジョギングの繰り返しの毎日を送る。
デヴィッドが走るシーンが度々映るが、それがラストシーンへの布石へとなっており、彼自身も死に向かって走り続けているという意味を含んでいたりもするのかも。
ジョギング中や家の中に居る時でも、事あるごとに沈痛な面持ちで何かを考えているような素振りを見せる彼は、患者の最期を見届け続ける自分にもそんな瞬間が近い内に訪れるのではという予兆を感じていたのかもしれない。

マーサの願いを聞き入れ、安楽死の手伝いをしたデヴィッド。
ここでも、自分が安楽死させたとは正直に伝えず死んでいる所を発見したと報告する。
突然道路に飛び出し横からやって来た車に轢かれるというラストは完全に先にタイトルを挙げた「おみおくりの作法」と被るが、今まで見送った人達が彼の元へ訪れず一人画面の外へ消えて行くという画は「見送った」というよりも「見放した」感を強く感じるのだった。
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