純

ぼくの伯父さんの純のレビュー・感想・評価

ぼくの伯父さん(1958年製作の映画)
4.7
小さなものを見落とさないという優しさ。忙しない世界の片隅にこんなに穏やかでのんびりとした生き方があるんだなあ、と気が抜けちゃいそうな愛らしさが沢山溢れていた。モダンに近づくほど人間の占める面積が多くなる世の中で、ユロ伯父さんの眼差しの先に小鳥や犬がお利口にしたりやんちゃしたりしているのが、本当に和やかで癒される。

間抜けで、とんちんかんで、へんてこで。なんなんだこのひとたちの毎日は、と本当に笑いが止まらない。嘲笑じゃなくて、なんだか可笑しくてどうしても笑わずにはいられない、素直な笑い声が聞こえる明るいユーモアが最高だった。何だろうね、トムとジェリーを観ているときのような、ちょっと馬鹿っぽくて愉快で、それでいてあの独特なシュールさの虜になってしまうあの感じ。何度でも噴水には笑っちゃうし、悪気のない犬たちが本当に愛らしいし、どこか抜けている伯父さんの人間味が大好きになっちゃうし。起承転結なんてまるでないけど、好きなだけ眺めていたい生き方が優しく描かれている、本当に素敵な作品だと思う。

無機質なモダン建築の中に映える人間臭さ、不完全さが魅せる安心感は素敵だね。全自動システムで外観もモダンな家に住んでいる伯父さんの妹とその旦那さん。この家でのシーンがすごく多いんだけど、子どものジェラールにとっては何か質素で物足りない、温かみに欠けた空間に思えたんだろうなあ。本当はお父さんもお母さんも人情たっぷりのひとたちだけど、子どもにとってはつまらない表面だけが見えちゃうんだね。そして、その機械的な生活に飽き飽きしてるから、おっちょこちょいで頼りなさげな伯父さんに惹かれるんだろうと思う。

なんとも言えないあの不安定な感じが良い。上手くいかなくても大丈夫にしてしまえるあの陽気さ。作品中ほとんど口をきかないのに、滲み出るあの朗らかな陽気さに、本当に本当に癒される。気が抜けているだとかドジだとかは頭が弱いって意味じゃなくて、伯父さんが自分の時間軸を失わずに生活できることへの賞賛。あんなに周りに流されず、見返りを求めずにひとに接せられるひとはなかなかいないもんね。損得で動かないで、自分が大切にしたいと思うものに素直に心を傾けて、寄せて、浸らせる。ゆるやかな時間を生きているというよりも、そういう時間を作り出せる独特の世界との関わり合い方ができるひとなんだよなあ。ゆるいのに確かな、世界との結びつき。あんな風に暮らしてみたい、景色を眺めていたいと思わずにはいられない。

誰もひとを傷つけるひとがいないっていう要素も、この映画の魅力の一つだと思う。嫌な気持ちにさせるひとがいない。前述したように、伯父さんだけじゃなくてお父さんも本当に魅力的な人柄で。仕事を頑張りつつもたまに間抜けな一面があったり、一般的に見たらちんたらしているような伯父さんの持つ不思議な魅力に実は憧れていたり。人間が持つ色々な感情に正誤や優劣をつけずに肯定した一本だから、本当に多くの人に観てほしい。

軽やかな音楽も、この作品ののんびりした平和な世界を作り出す大きな役割を果たしてくれていた。そして音楽だけではなく街が生きている音がするっていう点が、私が一番好きだったところかもしれない。特にユロ伯父さんの住む街は本当に好みだったなあ。人々の心の持ち方、時間の流れ方が透き通っていて眩しくて、光の街みたいだった。生活音も会話の一つ一つも、すべて何気ないのにかけがえのない一瞬一瞬を形取っていて、皆が自由で。社会人になる前にこの映画に出会えて良かったと思う。ほんの少し急ぐのをやめて、朗らかな心持ちを思い出せば、世界はこんなにも穏やかにゆっくり回っているんだと実感できる。ひとは優しいんだなとうっとりできる。少し皮肉を交えつつも、根本には温かい眼差しがあることが感じられる、愛に溢れた作品だ。毎日が美しく、毎日が愛おしい。そしてそんな毎日を生きている私たちも、きっと美しく、愛おしいよね。
純