純

ポンヌフの恋人の純のレビュー・感想・評価

ポンヌフの恋人(1991年製作の映画)
4.8
アレックス三部作の最後にふさわしく、鋭すぎるくらいの美的感覚がすべてのシーンに散らばっている。全体的に暗めのトーンで物語は進んでいくんだけど、その荒んだ、色褪せた世界の中で、あるときはその闇に溶け込みながら、あるときは光を放ちながら生きるふたりが、みすぼらしいのに、眩しい。今作もレオス・カラックス監督が得意とする、魅力的な言葉で語らせる屈折した感情と、映像で視覚的に伝えるまっすぐな情熱がひたすら感性を直撃してくる映画だった。

ポンヌフ橋でホームレスとして生きる、片足が骨折しているアレックスと、片目が失明寸前の画家であるミシェル。アレックスは愛を知らなかったし、ミシェルは愛を失っていた。そんなふたりが工事中の橋の上で生活を共にしていくっていう、ただそれだけの映画だし、起承転結もそこまでない。でも、やっぱり彼の作品の軸は変わらず、不完全で未完成なものたちが集まって、断片的な日々を生きていく。刹那的な一瞬一瞬がある意味乱雑につなげられているだけなのに、たった1日さえ確証のない毎日の虚弱さが愛おしい。

あくまで個人的な解釈だけど、今回は設定的にも「見ること」「見えること」を徹底的に描いた映画なように思った。孤独なアレックスは、失明という不幸を被りそうなミシェルに惚れて、彼女しか見えなくなる。彼女のためなら何でもしてあげたい。でも代わりに、自分が彼女に夢中になるのと同じくらい、彼女に惚れてもらいたいと思ってしまう。当のミシェルが見る世界は、弱った視力でゆらゆら揺れる陽炎でしかないのに。このすれ違いが、ふたりの孤独をもっと深めて、でも同時に少しずつ距離を縮めていく。膨れ上がった愛は制御できないからアレックスは文字通り無我夢中でミシェルを愛してるのに、ミシェルの心を完全に満たせるわけじゃない。確かにミシェルは失ってしまった愛を欲しがっているけど、それはその愛じゃなきゃだめだった。ある愛は別の愛の代わりにはなれない。だから、アレックスがどんなにミシェルを愛しても、それはあくまで一方通行なんだよね。切ない。愛せば愛し返してくれるわけじゃないから。でも、だからこその苦しみも愛の一部だって、肯定してあげたいよね。そして、骨折が治ったアレックス、両目の視力が回復したミシェルが見えるようになったものは以前見ていたもの、もしくは見えていたものとは全くの別物。だからふたりは「私を愛せる?」「昔と変わらない。だけど同じじゃない」という言葉を交わす。何かひとつのもの以外を見失っていたとき、世界がぼやけていたとき、何もかもがはっきりとしたとき、ひとは世界に惑わされて、見えるものがいとも簡単に変わってしまうんだろう。

この映画は、お洒落なだけじゃない、センスが良いだけじゃない作品なんだと、言っておきたい。作品の最初から最後まで、描いているのは皆の中にある愛。誰しもが抱く普遍的な愛の感情。それをここまで小汚く、美しく、眩しく描いているから、多くのひとはこれは芸術だと言って自分から遠ざけてしまうかもしれない。でも、そのたくさんの形容詞がつくであろう感情は、絶対的に皆の内側でうずく、確かにほとばしるむきだしの愛なんじゃないかって、私は思う。だからこれは、私たち全員の映画だ。

“誰かが君を愛している。君が誰かを愛していたら「空は白」と言ってくれ。俺は「雲は黒」と答える。それが愛の始まりだ” 正直意味は分からない。でも、どんなに頼りないものでも、白でも赤でも空でも海でも何でもいいんじゃないのかな。アレックスはやっぱり、ミシェルからの愛を確かな何かで確かめたかったんだと思う。これが愛だよと定義してしまいたい。その定義をクリアさえすれば自分たちには愛があって、きっと永遠にその愛は不滅だって、信じていたいんだろう。愛し方はそれぞれ違うし、そこに確かにあっても、ひとは自分に見える形での愛を求めてしまう。弱いからね。孤独だからね。寂しくで凍えそうな孤独を、一瞬でも温めてくれる愛を知ってしまったら、ちゃんとその愛がまだそこにあるのか、確かめないと気が狂ってしまうんだろう。愛は怖いね。いくら寄り添ってもきっとふたりが生き延びられるくらいの熱は得られない。ふたりはそもそもがあまりに不完全すぎるから。でも、一夜を耐え抜くくらいの温かさならあるかもしれない。それくらい頼りないものでも、欲しがってしまうから、ひとはいつまでも可愛くて愚かで弱いんだなあと、それが誰かを愛することなんだなあと、生きることなんだなあと、思う。

ミシェルを失いたくなくて、不幸なままのミシェルでいてほしくて、共依存していたくて、アレックスがポスターをこっそり焼いていくシーンは、ひとによっては不快だろうけど、胸が熱くなったなあ。それほど怖かったんだな、ひとりに戻るのが。今まではひとりでも、あの橋があれば良かったのに。愛はどんどんひとを我が儘に、貪欲にしてしまう。そして、対照的なミシェルの奔放な感じにもすごく惹かれる。「あんたに眠り方を教えたことが私の誇り。愛の証よ」「あなたを思い出せた。髪の先まで」たまに溢れる台詞が本当に素敵だった。

この映画を観たら100人中95人は言及するであろう花火のシーン、本当に、控えめに言っても最高すぎる。花火と水面と疾走と音楽って、もうこの監督にこんなの撮らせちゃったら無敵じゃん。映画史に残る最高のシーンじゃん。輝いて散っていく花火とアレックスたちが同化して、消えてしまいそうなのに確かに生きているというその圧倒的な存在感が本当にたまらない。

真っ白な雪が街を包む中、アレックスが滑ってミシェルと再会するシーンも超微笑ましくて好きだった。本当にどのシーンを切り取っても美しいし、アレックスの幼稚な行為も、ミシェルの少し下品な笑い方も全部、飾らない、泥だらけの愛し方なんだよね。アレックスが救われる、優しさ溢れる三部作目に心からの拍手を送りたい。
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