友人との会話から解釈が得られたので下方に追記
(鑑賞後に読んでください)
これは問題作?衝撃作?
ど頭から気分が悪くなる(いやな汗をかく)なかなかない映画。
これを見よ!とススメルのはなかなか難しい。
覚悟してみよ!て感じです。
復讐か?愛か?
というテーマはまさにこの映画を物語る一言。
冒頭で感じる息苦しさはそのまま最後までつきまとい
極端な二項対立の連続で揺さぶられる。
醜悪な見た目(屍体)と美。
アッパークラスの均整のとれた世界(ブルジョワ的世界)と
テキサスの乾いた太陽。
秩序と暴力
信じ続ける夢と今生きる現実
強さと繊細さ
正義と復讐
かなり要素が多いにもかかわらずそれが2時間にまとめられているというだけでも出色。
物語とは別に、ファッションの世界に生きるトムフォードの美意識は、
「ネオンデーモン」でレフン監督が表現した「整形=死→死姦」と通じるものがあるように思う。
2人とも、既存の美意識に辟易してるのか?
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解釈
「復讐か、愛か?」
私は間違いなく「復讐」だと思います。
テーマは
「強さ=美 への復讐」
だと思います。
それは同時に、マジョリティ(強者の世界)とマイノリティ(弱者の世界)の闘いでもあるでしょう。
長年、美の世界に身を置くトムフォードが既存の美意識を貫く強者の世界へのアンチテーゼとして、今映像化したいテーマなのだと思います。
それはそのまま現在のハイファッションの流行を象っているものでもあり、
皮肉にも強者の世界に傾き不安定になる現在のアメリカ社会を描いたものであるともいえます。
さて本作の内容ですが、
男なのに繊細→弱い
と格付けされた元旦那(ジェイク=弱者の象徴)が、
女なのに強い元妻(エイミー=強者の象徴)に宛てた
作中作に描いているのは
「強さ」は死を招くものでしかない醜いものだということ。
作中作に出てくる「強さ」は二つ
「男の強さ=野蛮」
「女の強さ=危険(無謀)」
作中作において、
野蛮な犯人たちが見せつける圧倒的な暴力は、
女性の向こう見ずな強がりが招いています。
元妻は母から「あなたには強い意志」があると言われていましたがそれが結果的に死を招き、
目を奪われるほど美しい死体が「弱いことこそ美」であると主張しているのではないか。
また、若かりし頃は妻は明らかに「弱さへの憧れ」を抱いており、母からこれを否定されています。
「ブルジョワ的世界(強者の世界)」を否定し「弱者の世界」に進むことは否定され、実際にそれは叶わず、優雅な生活を送っているわけです。
劇中、この「弱さへの憧れ」を示すシーンは数多くあります。
冒頭の「醜い屍体を見せつける」キュレーション
コーヒーを淹れながらの現夫との会話
ディナーでの男との会話
母との会話
ギャラリーの会議での会話
安っぽい「revenge」というアート
そして、作中作後半にかけて、強さを求められ続ける弱い男の苦悩が、「犯人(強さ)への復讐」という形で表される。
ここで刑事から求められる「強さ」も結局のところ「相手を殺す」という蛮行です。
強さは結局のところ野蛮vs野蛮という形でもって、殺し合いやがて自らをも殺すものでしかないという帰結。
つまり、弱き者が弱くあり続けることこそ、本当は強く美しいのではないかという転換を主張しているのではないでしょうか。
ある意味では、「弱いことを自覚し惹かれあった自分たち」が
あらゆる「強さ」に打ちのめされ本当の強さ(意志の強さ)を試され続けるという二人の人生全体のメタファーだともとれます。
「弱さ」を貫けなかった妻は、強者ではなく真に弱者だとすることで、
「現在妻が最も望むこと=やっぱり弱くありたい」を言い当てた形になり、
ラストシーンでは結局、
弱者の象徴である元旦那を「一方的に待ち望む」のだと思います。
弱者の象徴として描かれた元旦那は姿を見せないことで、
最後の最後に「真の強者の象徴」として描かれることになります。
すこし強引に拡大解釈をすれば、
強者は「姿を現さない弱者」に脅かされるという、
社会全体に対するメタファーであるかのようにもとれますね。