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20センチュリー・ウーマンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
4.4
 サンタバーバラが一望出来る印象的な俯瞰ショット、79年のスーパー・マーケット内。15歳の息子ジェイミー・フィールズ(ルーカス・ジェイド・ズマン)を連れてマーケットに今夜の買い出しにやって来た親子は窓の外で火だるまになる65年型ギャラクシー500を目撃する。母親ドロシー・フィールズ(アネット・ベニング)の静かなナレーション、マイク・ミルズの真骨頂となる矢継ぎ早に並列に積み重ねられるコンテキスト群。そこに開巻早々、丸焼けになる白い車の不穏さには唖然とさせられた。父親の愛車が焼けた喪失感。呆然とした様子で救急車の足乗せに座る親子の姿はどこか寂しそうだが、ドロシーは今夜の誕生パーティに鎮火してくれた消防士たちを呼んだことを息子に訝しく思われる。きっちりと横分けされたブロンド、憂いを帯びた瞳を持ったジュリー・ハムリン(エル・ファニング)が家に帰るが、踊り場で天井を壊していたウィリアム(ビリー・クラダップ)にジェイミーはまだ帰っていないと告げられる。まるでリゾート地に建てられた宮殿のような築70年の屋敷、ここに集う人間たちの歪な関係性はその夜、明らかになる。アビゲイル・"アビー"・ポーター(グレタ・ガーウィグ)はソファーの上でウィリアムの話を熱心に聞いている。自由奔放な母親ドロシーは招かれざる客である今朝の消防士を歓待する。マイク・ミルズは前作同様に、疑似家族の関係性を丁寧に描写する。

 前作『人生はビギナーズ』において99年の母親の死から突如、父親であるハル・フィールズ(クリストファー・プラマー)が45年間黙っていたゲイであることをカミング・アウトし、息子であるオリヴァー(ユアン・マクレガー)を戸惑わせたが、前作においてスポットが当たっていた父親とは逆に、今作では20世紀最後の年に亡くなった母親にフォーカスするマイク・ミルズの自伝的物語になっている。ミルズの父親はサンタバーバラ美術館の館長として、地元のアート・シーンでは知らぬ者がいない名士だった。父親はしばしば家を留守にし、幼少期から思春期のマイク・ミルズは母親と2人の姉に育てられた。1955年生まれのアビーと1962年生まれのジェリーは明らかにミルズの血を分けた姉たちの姿を元にパーソナリティが付け加えられている。ニューヨークに憧れ、70年代中盤にかの地に渡ったアビーは76年に誕生したパンク・ムーブメントを全身に浴び、夜な夜なCBGBに入り浸るものの、子宮頸癌を患い、故郷であるサンタバーバラに帰郷して来た。一方のジェリーはサンタバーバラの田舎街のヒロインとして思春期の男たちの羨望の眼差しを受けるが、残念ながら愛を知らない少女は、幼馴染の性の目覚めをやんわりと拒絶する。その姿の根底には70年に出版されたラディカル・フェミニストによる小説『Sisterhood is Powerful』があったのは想像に難くない。ミルズは疑似家族と代理母、そして15歳の少年の成長の物語を、映画、文学、音楽、建築、ファッション、政治が今よりも緊密に結びついた50年代からのアメリカン・カルチャーを横断する歴史として説得力たっぷりにに描き切る。

 55歳のドロシア、24歳のアビー、17歳のジェリーの世代的なレイヤーの差が、童貞であるウブなジェイミー少年に何よりも大きな気付きを与える。3人の女性たちのレイヤーの差はそれぞれ「大恐慌時代」、「第二次ベビーブーム世代」、「ジェネレーションX世代」に置き換えられるはずだ。前作『人生はビギナーズ』同様に、古き良きアメリカの家族間を守ることが唯一の体裁であると信じた戦前の親と戦後の子供らの家族間の違いを浮き彫りにしながらも、ウーマン・リブの価値観を付け加える。アメリア・イアハートとBIG BAND JAZZ、ハンフリー・ボガードに心底憧れた母親はThe Raincoats の『Fairytale in the Supermarket』のヘタウマな演奏が到底理解出来ない。Talking HeadsのTシャツを得意気に着ているジェイミーは、女性の真理を突いた言葉をガキ大将に吐き、ボコボコにされる。バラバラの時間軸をポリフォニックに紡いだ物語は70年代後半のポートレイトを形成する。スーザン・ソンタグの写真論、セーラムというタバコ、ビルケンシュトックのサンダル、M・スコット・ペックの『愛と心理療法』、ゴッドフリー・レジオのドキュメンタリー映画『コヤニスカッツィ』、Suicideの『Cheree』のレコードなど幾つもの記号的事象が並列に羅列される展開は見事というより他ない。アビーとジュリーは両親との不和をトラウマとして抱えながら、ジェイミーの代母となることで救済される。

 ニクソン〜フォード〜カーターと変遷した70年代のアメリカ大統領の歴史は、強いアメリカを目指したレーガニズムへと舵を切り、80年代という新たなタームへ突入する。それは物質主義やAIDS、WINDOWS95やAppleコンピューター、9.11以後の未来とも地続きであろう。ジミー・カーター大統領の「アメリカ人の自信喪失の危機」と呼ばれるスピーチに対し、戦前生まれのドロシー・フィールズだけは全面的に賛成に回る。皮肉にもそれは、ドナルド・トランプが大統領に就任した現代への痛烈な批判とも読み取れる。今作の世界観は直近では同じ79年を描いたリチャード・リンクレイターの『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』とも地続きで繋がっている。3人の女性たちの一生とそこに申し訳程度に連なる2人の男の79年の一夏の思い出話は、1950年代から現代に至るアメリカ社会の変貌を的確に見事に描き切っている。ロバート・ゼメキスの94年作『フォレスト・ガンプ/一期一会』に比肩しうるとまでは言い切るつもりはないが、綿密で膨大な歴史と文化の洪水を、あくまで女たちの一生にポップに纏め上げたマイク・ミルズの丁寧な仕事ぶりにただただ心打たれる。後半の15分間がやや間延びしているのが気になるが、20世紀のアメリカ文化の深部に一度でも触れたことがある者なら、観ておいて損はない。
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