閉鎖された「ルーム」でただ生きること、暮らすことだけをしてきた2人。
そこには狭い世界だからこそ生まれる、濃密な時間が流れていた。
ジャックは朝、家中の物に、おはようと言ってまわる。
手作りの人形、おもちゃで一人遊びも得意。
世界を知らないので、たいていの物は魔法の仕業だと思ってる。
決して無理しているわけではなく、楽しそうに、自分の生活を語るジャックが素敵で、思わず魅入ってしまった。
こんな姿を見たら、決して、彼を不幸だったと決めつけることはできない。
子どもは母親ように誘拐されたわけじゃなく、外の世界を知らない=先入観を持たないから
どんなに小さな世界であれ、産まれ育ったそこは、大好きなママといつも一緒の 壮大な場所《ルーム》であったのかもしれない。
だから、そこを出た後もジャックは時々恋しくなる。
戻りたくなる、と言っていた。
思い入れがたっぷり詰まっているルームに…
まるで、故郷を懐かしむように。
そんなふうに思えるのは、与えられたのが限られた場所、物であっても その中で五感を研ぎ澄ませて感じること、生きることを立派にしてきた証拠。
それは母親の努力と、この子の才能だと思う。
ルームで起きたのは悲しいことばかりではない。ジャックにとっては楽しいことも同じくらい、きっとそれ以上あった。
そして一度世界に出た後 ルームに戻ってきてびっくり。
「縮んじゃったの?」って。
ココはこんなにも狭かったんだな、と感じる。
まるで 小さい頃遊んでいた公園に大人になって行て、遊具の小ささに驚くように。
それにしても ジョイは、自分が悲惨な体験をした現場に よくぞジャックを連れて行ってあげられたなと思う。とても勇気がある。
少し名残惜しそうにルームにサヨナラを言う姿を見て、複雑な思いに駆られていたのだろうけど…
きっと連れて来て良かったと感じていただろう。
バターみたいに薄く伸びてる広い世界。
という表現が頭に残ってる。
外の世界は見るもの、触るもの、感じることが多すぎて時間が足りない。
目まぐるしいスピードでたくさんのことが起きる。
私が当たり前に感じているこの世界が、ジャックの目で見ると全然違って見えている。もぎたての果物みたいに、とてもみずみずしい。
戸惑いはあっても、どんどん環境に慣れていく。
きっとすぐにこれが当たり前になる。
子どもの順応力のたくましさを感じた。
母親が、ジャックのようにいかないのは当たり前だけど
監獄の中でもきちんと生活しているところが素晴らしかった。
時々絶望感で鬱状態になり「ぬけがら」になることはあっても、
運動不足にならないようにストレッチをしたり走ったり、お風呂に入ったり、
誕生日にはケーキを作って、寝る前には歌をうたう。
子どもをなんとかして「まとも」に「普通」に育てたい。守りたい。
そんな強い意志が感じられた。
目的があったからこそ生きてこられた。
ジャックは彼女に必要だった。
母親としての責任、という言葉で責める心ないインタビュアーの質問には、こちらまでがっくり来た。
家に無事帰った時、彼女の部屋は17歳の時のまま。…切ない。
同級生達と自分を比べて惨めになったり。
人の目にさらされて困惑する。
落ち着いて考えられるようになったからこそ苦悩は耐えなくて、
それはもしかすると囚われの身だった時よりも、痛みが大きいように思えた。
解放されて終わり、ではなくその後の続いていく生活までしっかり描かれていてとても見応えがあった。
優しい人たちの中でゆっくりと再生していく様子にホッとしながら、観終えた。
誘拐、監禁、レイプ、出産というエグい内容ながらも、特に印象に残ったのはジャックの素敵な感受性だった。
キラキラと輝くとてもいい作品だった。