純

ハドソン川の奇跡の純のレビュー・感想・評価

ハドソン川の奇跡(2016年製作の映画)
4.0
近年、アメリカは自国を讃える映画だけでなく、自国の闇をあえて包み隠さず公表する映画をよく作るなという印象がある。ハドソン川へ飛行機が不時着したのは私が中学生の時で、同じ頃にTV「奇跡体験!アンビリーバボー」でこの事件を見た記憶があるんだけど、機長の素晴らしい判断のおかげだ、彼は英雄だ、って部分の記憶しかなかったから、英雄が「容疑者」にもなっていたなんて、(恥ずかしながら)この映画があるまで知らなかった。

鳥の衝突により両エンジンが停止し、155人もの命を預かった機長が208秒でくだした決断はハドソン川への不時着。全員を救ったはずの英雄が全員を危険に晒したとして容疑者にされ、極度の緊張の中、自分の経験と直感を信じた彼は調査局の粗探しと世間の囃し立てに眠れない日々を過ごしていた。仕事もできず、人為的ミスを探される毎日なんて気が滅入って当たり前。英雄にこんな葛藤があったのかと思わず苦しくなる現実。でも、それを隠さずにしっかりと過去と向き合うアメリカらしさも感じる描写が良い。

観終わってから思ったけど、クリント・イーストウッド監督作品の流れの良さはすごい。観客の心理変化を考えた構成と見せ方になってるなとつくづく思う。サリー機長が精神的に追い詰められるところ、事務的な調査局の分析、飛行時の事実といった物語の中心を丁寧に描いた上で、搭乗した155人の中には当然サリー機長も含まれていること、彼だって生存者のひとりであることをしっかりと描いてくれていた。イーストウッド監督はこういう人間味の温かさを出すのが本当に上手な監督さんだから、彼がこの作品を作り上げたというのも大事な要因だと思う。

私は「命の大切さは私もあなたも同じ」なんてこれっぽっちも思わない。ひどいとでもなんとでも罵倒してもらって結構だけど、私にとって一生涯で一度もすれ違ったことさえない誰かと私の家族だったら、迷うことなく家族の命の方が大事だし、皆それぞれ誰かを大事な命だと思っていて、それは同時に他のひとは大事じゃないと言ってるのと同じだ。少なくとも同等の大切さではないはず。乗客の誰かの命を、安全な場所にいた誰かが心配していたように、機長にだって家族がいて、機長だってそのひとたちにとっては大切な命だ。裁かれる命でも讃えられる命でもなく、生きていることを純粋に喜ばせてくれる大切な命。操縦時の真実だけでなく、それこそもうひとつの人為的局面(観たひとはわかる(笑))をハートウォーミングにさりげなく映画に組み込んでくるあたり、ずるかった。

ハートウォーミングといえば、やはり機長と副操縦士という人間。ふたりのキャラクターが技術とともにまさにベストコンビでとても微笑ましく格好良い。これは実話だからもちろん元の本人たちも素晴らしいし、映画でいうとキャスティングがあっぱれ。彼らだからあれだけ魅力的なキャラクターとして観客をハラハラさせたり笑わせたりといった共感を生めたんだと思う。

トム・ハンクスは誠実な人柄がとても似合うなあと思いながら観てたんだけど、今作で結構印象的(だと個人的には思う)なランニングシーンはどうしても『フォレスト・ガンプ/一期一会』が頭をよぎった。若いトム・ハンクスが「生きる」ことを純粋な走りで描いたあの作品から12年後、彼が今度は苦悩を抱えながら走るサリー機長を演じたのは何だか感慨深い。人生を描いた彼の代表作とつなげて少しビターな要素を加えた別の走りを見せたかったのかな…ってのは流石にこじつけすぎだし考えすぎかもだけど、イーストウッド監督作品は無駄がないから、何か意味があるんじゃないのかなと思ってしまう(笑)

意味といえば、他のレビュアーさんでも書いてる方がいらっしゃるけど、原題のSully、これめちゃめちゃ考えられたタイトルだよね。サレンバーガー機長の愛称サリーだけじゃなく、名声を傷つけるって単語とも掛けてあって、Sullyがsullyされたっていう二重の意味を持ってる。こういうタイトルは邦題にしづらいとは思うけど、今回の邦題は機長の葛藤や彼への敬意が見えづらいものになってるから、どうしても残念だと思ってしまった。

最後の最後まで見せ方にこだわったイーストウッド監督の余裕と素晴らしい俳優陣、何より自分の経験を信じて即座に適切な判断をくだした機長と、彼を補佐した副操縦士、生きるために最善を尽くした乗客全員の力がひしひしと伝わる良作だった。
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