にしやん

世界の涯ての鼓動のにしやんのレビュー・感想・評価

世界の涯ての鼓動(2017年製作の映画)
3.5
ドイツの鬼才ヴィム・ヴェンダース監督の久々の新作やで。ノルマンディーの海を望む瀟洒なホテルで出会い男と女が、それぞれの向かった先、男は内戦の続くソマリアへ、女は生命の起源を探りにグリーンランド沖の深海で絶体絶命の危機に陥ってもなお強まる愛を描くラブストーリーやというふうに書いてまうと、ほんまそれだけの話や。いやー、それにしたかてヴィム・ヴェンダース。世界の映画界を代表する巨匠やさかい、何か身構えてまうわな。せやけど、この作品なんか評価は悪いみたいやな。日本公開かて2年も遅れるわ、公開館かて全国でたったの8館やもんな。「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」「ことの次第」「時の翼にのって」など、映画史に残る数々の傑作を生んだ大監督やからな。寂しい限りや。そんな彼が、映画の出来の良し悪しとかを超えて、今どんな作品を作ったんかっちゅう興味で鑑賞したわ。

ここからは観た感想や。まず思たことは、これまでのヴィム・ヴェンダースの路線を継承する、ヴィム・ヴェンダースらしさの感じる作品やったってことやな。相変わらず「らしいな」とニヤっとしてしもたわ。映画の出来の良し悪しとは別にやで。じゃあ、ヴィム・ヴェンダースらしさってなんやねんってことなんやろけど、まず映画の形式面から言うと

・詩的
・展開遅い
・表現主義(20世紀初頭のドイツで起きた芸術運動で、内面的、感情 的、精神的なものなど「目に見えへん」もんを主観的に強調する様式)
な色の使用
・アドリブ多用
・独白長い
・物語より画を優先する(そもそも画家を目指してた)

で、内容面で言うと

・登場人物は人間としての根源的な孤独や喪失みたいなもんを抱えてる。その孤独や喪失は映画の中では必ずと言っていい程解決されへん
・人はそう簡単に癒されたり、満たされたり、幸せになったりするもんやないという厳しい現実をひたすら描く
・「時間そのもの」を描くことを表現の目的としているふしがある
・物語より画(映像)を優先し、撮りたい画(映像)の連続で映画を構成しようと考えてる
・ただし、彼にとっての画(映像)とは「物事の記録」でしかなく、本当に見せたいもんとか、表現したいもんは映像では見せへん

てな感じや。それと、実はこれが非常に大きいねんけど、

・小津安二郎と溝口健二に非常に傾倒してる

ってことで、日本贔屓っちゅうでも有名やな。バーでのウィスキーのシーンなんかはちょっとニヤっとしてもたわ。あとは「ロード・ムービー」って言葉やジャンルを作ったんも彼やな。

ところで、この「世界の涯ての鼓動」やけど、まず脚本及び構成が異様に悪いから、映画の中盤、劇場の殆どが寝てたんとちゃうかな。少なくてもわし何遍も寝落ちしそうになったし、両隣は完全に落ちとった。脚本、構成がもうちょっと普通にましやったら、もっと評価高なったかなと。一般的な評価が低いんはまず脚本・構成に問題があんのやろな。

ストーリーについては、彼はそもそもあんまり重視してへんさかい、そこをぐちゃぐちゃ言うてもしゃあないと思う。この人にそれを期待したらあかん。わしからしたら、本作はまだましなほうに思えたくらいや。この監督に限って言えば、ストーリーやセリフそのもんで映画を語っても意味ないと思う。この監督の作品の登場人物、ストーリー、セリフ、映像の殆どが、監督の言いたいことや見せたいことのメタファーになってて、それがいったい何を意味すんのかを常にいちいち解読せんならんという非常に面倒臭いことになる。ヴェンダースの作品は、とにかく見た後疲れるっちゅうんがわしの経験則や。あー、面倒臭いけど、まあ、しゃあないから、ネタバレせん程度にちょっと考えたろか。そんなに難しいもんやないさかい大丈夫や。

この作品にはいくつかの謎があるねんけど、大きくは

一つ目:ジェームズとダニーがなぜ恋に落ちたか?
二つ目:この映画は何がテーマなんか?ヴェンダースは映画を通じて何を言いたいんか?
三つ目:ジェームズとダニーは再会を果たせるんか?

やろな。

まず一つ目やけど、ヒントになるんは映画の冒頭にジェームズが美術館で見てた絵やと思う。なんでかっちゅうたら、その後この絵を映画の中でそのまま映像化してたシーンが2回出てきたからや。それも2回とも全く同じ内容のシチュエーションで(映画観た人は絶対分かる)。これは絶対になんかあるで。この絵調べてみたら、フリードリヒの「海辺の僧侶」やな。フリードリヒは18世紀から19世紀にかけてのドイツの宗教画家やねんけど、本人が13歳の時に自分の目の前で弟が溺死したことが原因でうつ病になり、何遍も自殺未遂してる人や。もう分かるやろ。このジェームズというのは一応人物になってるけどA(伏字)の象徴やと思う。向かう先がソマリアって、それだけで誰でもAを感じるわな。これは分かりやすい。

じゃあそれに対してダニーは何の象徴かっちゅうたらその対極のB(伏字)やろ。彼女が深海に潜って何を求めていたんかということからも分かるやろ。AとBや。だから二人は惹かれあったんやとちゃうかな?AとBは影と光、裏と表みたいなもんや。BがあるからAがあり、AのないBはないってもんや。この二人の恋は運命であり、宿命であり、切っても切り離されへんもんってことのメタファーとちゃうかな。

それから、二つ目やけど、ヒントは実は邦題にあった。原題は「Submergence」(=「水没」)。これが何で「世界の涯ての鼓動」になんねんって最初不思議やった。それと「涯て」って完全にアテ字で、なんで「果て」にせえへんかったかとも思た。ここで思い出したんが1991年公開のヴェンダースの「夢の涯てまでも」や。同じアテ字を使ってるから何かあるんとちゃうかなと思た。この作品はヴェンダースには珍しいSFもんで、夢の映像化の実験台になって発狂した人を●●(伏字/漢字二文字)で救済するみたいな話やねんけど、この映画と本作は絶対につながってると思う。プロット自体もちょっと似たところもあるし。「夢の涯て~」での●●による救済は核の恐怖に怯える20世紀の人類の話で、現在テロの恐怖に怯える21世紀では●●による救済など全くの無力である(二人とも詩を読んでたけど大した効果なし)と同時に、テロの根本原因が●●やということも示唆してた。作中イスラム教の「ジハード」を「●●」と訳してたもん重大なヒントになってるな。じゃあ21世紀のテロの恐怖の時代の救済はなんやと言えば、●●ではなく▲▲(伏字/漢字2文字)しろってことや。今わし等人類に足らんのは▲▲やってことヴェンダースはわし等に提示してる。じゃあ、▲▲って何かって。それはノルマンディーのホテルでの二人のランチのシーンで、ダニーが言うてたことそのままやとわしは思う。わし映画観ながら、思わず一瞬ダニーが言う通りにしてもたもんな。あのランチのシーンの彼と彼女のドアップ顔の切り返しにはちょっとびっくりしたというか、ある意味衝撃的やった。ヴェンダースの映画であんなシーン初めてやと思う。ヴェンダースは絶対にこのシーンに何か仕掛けてるってすぐ思た。一見男と女が恋に落ちる瞬間そのものを映像で見せつつ、ほんまに見せたいもんは別にあるっていう、これぞヴェンダースの真骨頂やと思う。

三つ目やけど、もうここまで書いたら分かるやろ。再会をどう定義するかにもよるけど、果たした、果たしてないのどっちも正解や。▲▲の中で二人は再会を果たすんや。

いやー、70歳を過ぎてもヴェンダースはまだまだ健在やで。映画としては相当しんどいということなんやろけど、ヴェンダースはやっぱりヴェンダースやったってことかな。時代の変化に合わせた新しい課題に対して、しっかりと自分なりの答えを提示(解決ではなく)してくるところは彼らしいし、それはそれで今の時代ほんまに貴重な存在やと思う。世の中課題投げっぱなしで、答えを提示せえへん監督ばっかりやもんな。合うてようが、間違ってようが関係なく、答えはやっぱり出さなアカンと思うわ。だってわし等金出して映画観てる訳やから。まあ、そんな感じかな。

興味が湧いた人は是非観てほしいと思うわ。眠たならんように必ず空腹で。
にしやん

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