純

映画 聲の形の純のレビュー・感想・評価

映画 聲の形(2016年製作の映画)
4.7
もう一度だけと震える心と、ごめんなさいとうずくまる身体を限界まで押し上げて、彼女たちはこんなにも明るい場所に出た。あの過去がどんなに怖くても、今は眩しく光っている。青春の隣で振り下ろされる鎌なんて、一緒にいればよけられるよ。だからもう、そんな顔をしないで。

好きだとか嫌いだとかを伝えたいひとは沢山いて、なのに相手にとってその思いは道端に落ちている煙草くらいの価値しかないとき、私たちはどうしたらいいのか覚えていますか。ひとりの努力だけでは形にできない悲しさが、あまりに平凡で冷たいとき、飛び降り自殺なんてものが頭に浮かぶ。死んでも可愛くなんかないのに、どうして誰も「生きていてね」って願ってくれないんだろう。せめて、孤独を遠くへ行く理由にしてください。

音がない世界で呼吸をするひとが、聲を出して大事なことを伝える姿は、実は当たり前なのだった。私は欠けているからあなた方に寄り添っていただきたいのです、ではなくて、ちゃんとそのひとに「こっちを向いて」と踏み出すしるし。やり直したいと思った目線を拒まれることは暴力じゃない。「皆」「正しさ」という言葉が、きみをぼろぼろにしていた。気づいていた?あなたは弱虫じゃありません。

離れている時間だけが作り上げることのできる関係がある。未完成だから目指せる場所があった。正解も間違いもどれもぼんやりとしていて、私たちはその曖昧さに逃げて自分を正当化してきたね。不器用で未熟だからといって許されないことをしたのは、寂しさを埋める燃料を求めていたからです。幸せを、と手を伸ばせないでいる生き物だからです。

「これ見たら、姉ちゃん死にたいなんて言わなくなると思った」という妹の台詞が苦しかった。ゆづは心が綺麗だよ、と微笑んだ優しいおばあちゃん。将也と硝子だけじゃなくて、皆、本当に皆、重力に引かれながらも自分の足で立っている。そんなことにひとつひとつ気づかせてくれる場面がいくつもあって、そのたびに「知らないでいること」の怖さと、それゆえに存在する幸福を思った。

幸せとか不幸せに無力な関係でいたいな。きみに生きるのを手伝ってほしいし、沢山の聲の、その輪郭をなぞりたい。憂鬱が呼び込んだゆめがうつくしい色をしていても、早く目覚めて朝日を浴びたいと、そう思える明日がいい。

P.S. きっと、本当に本当に嫌な経験をしたひとじゃないと感じない恐怖や寂しさがある、そしてそんなひとだからこそ受け入れられない展開も多い映画なんだろうなと思った。死ぬことでしか証明できないと感じる命がある世界が、嫌だな。愛してもらって、抱きしめてもらって、寿命で死んでしまう未来がいいよ。
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