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パターソンのgogotakechangのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
4.9
「詩人の街」パターソンに暮らす若き詩人とその彼女。この街に生まれこの街に育ち、この街でバスの運転手をし、この街で詩を綴っている。
この作品の街並みも景色も、何もかもが詩的な風合いを装っているように見えてくる。
ジム・ジャームッシュ監督の作品を最後に見たのは、日本の武士道「葉隠」を題材にした『ゴースト・ドッグ』だったので、ワタシからすれば随分久し振りだったが、映像の心地よいリズムが相変わらずでとても良かった。

「詩人」、或いは「詩」とは何なのか?

言葉を弄し、全てを言葉に置き換えようとするから逆に言葉に翻弄される。それでも詩人は言葉と格闘する。胸の内に波紋のように拡がる心情の揺れ動きを、吐き出さずにはいられないように書き綴る。

それは過去から未来へとつながる人間の導線のようなもの。
そこに詩でなければならない理由はない。
しかし、音楽でなければならない理由もないし、映画でなければならない理由もない。
ただ、詩でなければならないものは間違いなく存在する。

だから人は言葉を紡ぎ、詩を綴る。
だから人は音楽を奏で、映画を撮る。

「白紙に拡がる可能性もある」

何度でも生まれ変わる。
新しい言葉で未来へつなげていく。

記された過去は記録でしかない。
また新たに始めればいい。死ぬまでそれを繰り返せばいい。

それが生かされている者に架せられた宿命なのだ。
宿命には背けない。

だから人は詩を綴る。

この映画を見て、少し心が軽くなった。

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Oct. 7, 2017
再見。

この作品には、何組かの双子が登場する。

街なかで双子を見つけると、どこが違っているのか?見分ける方法はあるのか?と、二人の違いを探してしまう。

一方、バスの中で話をする友人同士には、どこでつながっているのかと、共通点を探そうとする。たとえば2人が履いている靴とか、性別とか。でもどこまでも重ならない。

詩を書くのが好きな女の子はやはり双子の妹だった。
ところが、後でチラリと現れる双子の姉は、似てるけど双子という印象は薄い。

外見だけでは、見た人の持つ情報量だけで片付けようとするから、双子は"双子"というネームのついた頭の箱に二人まとめて放り込んでしまいがちである。
しかし、実際に話をしてみたり、バスの中の二人の会話を聞いていると、似てるのは外見だけであとは全く違った個性を持っていることに気が付く。
双子の違いに気付く事は、昨日が今日と違うこと、一日たりとも同じ日などないこと、そして常に明日は"新しい"ことに気づくのと同じである。

そんな当たり前のことにあらためて気づいたとき、人は"詩人"を呼び寄せる。

『白紙のページに拡がる可能性もある。』

目の前の光景が、それまでとは違って見えるだろう。

この作品には、"詩人"が住んでいる。

それは、実は自分の姿なのかもしれない。
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