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バリー・リンドンのKuutaのレビュー・感想・評価

バリー・リンドン(1975年製作の映画)
4.1
「博士の異常な愛情」のような、人の生をシニカルに捉えたコメディ。

数字に支配された運(命)と、それを裏から操る計略によって、人の命が行ったり来たりする。数字を数える場面と騙し合いが繰り返され、人はその中を彷徨う動物に過ぎない(家畜と化した人間への鞭打ち)。

統御された画面は、こうした人の営みを滑稽に浮かび上がらせる。冒頭のエロい従姉妹の会話やチョーカーのくだり、兵士が一直線に並び、弾が当たるかどうか運任せな戦いを強いられる展開、真面目な絵面を保ちながらアホなことをやっている。

絵画的な構図と光は抜群に美しい。ただ、画面が完璧だ、という声は多いけれど、画面の中に揺らぎが入っていることはもっと重要ではないだろうか。蝋燭であり、湖や自然であり、ここぞで無邪気に暴れる手持ちカメラであり。

息子にキレたバリーの大乱闘で、止めに入った人が床をスライディングしてくる躍動感に笑った。奥さんが服毒自殺を図るシーンの揺れるカメラ。不倫シーンの過剰なズームもバカっぽくていい。

バリーが追い求める生活は、湖に反射した向こう側の世界にあるのかもしれない。小舟に乗った家族が、橋と水面に反射した橋の影で閉じ込められる。息子が湖で釣りをしているのは、父親と同じ轍を踏んでいる気がする。

バリーが奥さんと初めて出会うシーンが一番良かった。しつこいくらいのカットバックでの両者の表情は硬いが、バリーの手前に置かれた蝋燭の火は、風で揺れている(愛情ではなく政治的野心の火だけど)。
それを受ける奥さんの蝋燭の火…。全然動かない、思いは通じないのかと思わされるが、彼女は「風に当たりたい」と言って夫の隣を離れる。面白い。

次作のシャイニング同様、父になろうとして上手くいかない男が主人公だ。クライマックスの決闘で、バリーは計略と運命から離脱した行動を取ろうとしたんじゃないだろうか。

そして、そんなちっぽけな自由意志や蝋燭に現れる心の揺らぎも、計略や偶然も、全て俯瞰で見たら「歴史」に過ぎないし、等価に記録されていくもんだと、オチで念押しされる。ラストシーンで、バリーは数字そのものになっている。82点。
(町山さんの解説によると「全編が髭男爵みたいな貴族コント」だそうです)
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