スプリングス

さよなら、ぼくのモンスターのスプリングスのレビュー・感想・評価

5.0
全力でオススメ出来る映画があります。
この、『さよなら、ぼくのモンスター』です。
全てが素晴らしい。素晴らしいんです。

これはもう「観てください」と言うしかない。
この映画の素晴らしさを過不足なく表現できる言葉を、僕は未だ持ち得ないから。
だから。





「観てください」













(※以下、提出課題記述文抜粋)

動物と会話をする物語は余程ファンタジーに振り切るなりしていないと、目も当てられないような陳腐なものになる。しかし今作。この『さよなら、ぼくのモンスター』という作品は例外だ。
『さよなら、ぼくのモンスター』はファンタジーでも、SFでも、ましてや異能ヒーローものでもない。青春ドラマだ。青春ドラマでありながら、ペットのハムスターが喋る。人間の声で。
ハムスターは“イザベラ・ロッセリーニ”という女優が声を当てている。しっかりと感情のこもった演技をしているので登場人物のひとりとして扱うことができる。なんなら今作の出来不出来はこのハムスターに掛かっているといっても過言ではない。それほど、物語の終盤に重要な役割が設けられている。ただ喋る《だけ》で終わらないのが、この映画の良いところだ。
ひとりの青年の《決別》の物語。今作を要約するならこうだと思う。自分の性、ダメ親父、アーティストへの夢、過去のトラウマ、くだらないバイト、くだらない地元、家族のしがらみ。それら全てを飲み込み、吐き出し、爆発させる終盤の展開はもう泣きながら観ていた。泣いてしまったのは、感情が爆発した瞬間の目まぐるしさの中に、確かにそこにあった『愛』を感じられたから。だから、自然と泣いていた。
とんでもない脚本だと思う。よくこんな物語を考えついてこういった締めくくり方にストンと落とせたなと。そこに映像の美しさ、音楽の素晴らしさが付加されるのだから、絶賛しないほうが無理である。
巷ではグザヴィエ・ドランには及ばないなどと言われているが、それぞれの強みは違うところにあると自分は思う。ドラン監督は窮屈な青春の息苦しさを描くのが上手く、この映画は壊れる寸前でギリギリ耐えている心の軋む音を表現するのが得意だ。ふたつは似て異なるものだと感じる。
とにかく観て良かった。
こういった脚本を書けるようになりたい。