Ricola

河内カルメンのRicolaのレビュー・感想・評価

河内カルメン(1966年製作の映画)
3.6
悲壮感が漂っても仕方ないような主人公の境遇であるはずなのに、コミカルであっけらかんとした明るさが常にある。
それは主人公の逞しさと前向きな姿勢ならず、作品のコメディタッチの演出にもある。

純粋無垢な田舎娘の露子は、都会の荒波にもまれるうちに社会や男を知っていく。
彼女はその中で挫けることはなく、明るい未来を信じる純粋さを失うことはなく、前を向いて生きていくのだ。


男に搾取されて利用されていくようで、むしろ露子が彼らを利用して強く逞しくなっていく。金や下心のために、さまざまな人たちが露子に近づく。
「男が強く出ると反発するが、弱い男には同情する」
ただそんな露子の姿勢と態度が、彼女自身の人生を翻弄していく。

露子の恐怖心が不気味なものとして、我々の目前に現れる。
魚眼ショットでたくさんの男が露子に近づいてくる光景が数秒のショットに収められたり、ドールハウスみたいに家が真正面で切り取られたようなセットのなかで悶々とする露子が映し出される。また、映る回想というかもはや彼女のトラウマなどが、彼女が覗き込んだ桶の中で再現される。

露子は全力で喜怒哀楽を示す。
何かハプニングに遭ったり人に利用されても、露子は悲しんでも、悲しみに暮れることはなく、すぐに怒りを前面に押し出して突き進んでいく。
そのはっきりとした感情表現が、悲壮感を感じさせない理由の一つでもあるだろう。

静止画が感情の動きや状況説明を担うこともある。
春画で想像させる濡れ場や、写真でパラパラ漫画のように露子の怒りの爆発を表す。
特に後者の場合は、スローモーションのように、感情や動く変化の瞬間を逃さないため、彼女の表情がよく見える。
さらに時間が巻き戻されていくような演出が、それまで彼女が見せていた爆発が呆気なく終わるように見える。そして、これらの写真は全て高野が撮影していたということが、彼のカメラのフィルムを巻いている仕草が最後に映し出されることでわかる。

自分自身の力の範疇を超えて、主に男性に振り回される露子の人生。
しかし彼女はそんな運命に抗うように、向上心と自分を信じる信念のもとに生きていた。
Ricola

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