ガンビー教授

エル ELLEのガンビー教授のネタバレレビュー・内容・結末

エル ELLE(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

語りたくなる作品であると同時に、語りにくい作品でもある。難しい、が、とてつもなく面白い。

アメリカにおける複数の女優に主演をオファーしたが、次々と、それも即座に断られたらしい。Wikipediaによるとニコール・キッドマン、ダイアン・レイン、シャロン・ストーン、ジュリアン・ムーア、マリオン・コティヤール、シャーリーズ・セロン、カリス・ファン・ハウテン……というような名前が並んでいる。最終的にイザベル・ユペールが原作のファンだと判明、話を持ち掛けると「ヴァーホーヴェンなら」ということで、フランスで撮ることが決定したらしい。こんなことは言いたくないが、二つの国における役者の、器の差を見たような気にさせられる。

ただ、やはりこのキャストが決定するのは必然だったような気もしてくる。こんなストーリーと役柄を前に物怖じもせず「やりたい」と言ってのけられるような役者でなければ、このミシェルという特殊な役柄を演じ切ることはできなかったのではないか。それくらいこれはイザベル・ユペールの映画である。間違いなくポールヴァーホーヴェンの映画でありながら、同時に50%はイザベル・ユペールの作品でもある。それほど、この役者抜きにして本作を理解することは難しい。彼女のいない『ELLE』は考えにくい。圧倒的だと思う。

彼女が本当にヤバいというか恐ろしい。いや、映画を見続けていくとおかしいのは彼女ではなくeverything else、彼女を取り巻く世界のほうなのではないかと思えてくるのだが、それはさておき、映画に接する我々は、そして彼女の周囲のキャラクターたちは、ミシェルの一つ一つの振る舞いにどこか神経を逆なでられ、驚かされる。口で説明するのが難しいというか、見なければ分からないあたりだが、この人は怖い。イザベル・ユペールは還暦を超えていることが信じられないほどこの映画の中で性的な意味において魅力を放ち、あえて非常に不適切な表現を使えば“そそる”姿態を披露しているのだが、彼女はその性的魅力と競うかのように、どこか破滅的であり分裂した人格を持ち合わせている。ある男性が、テーブルの下で彼女に足を絡められるという場面があるが、男の妄想を具現化したようなシチュエーションでありながら、このキャラクターに足を絡められたら欲情より先にすくみあがってしまいそうだ、と思わせるところがある。

そしてそれは、“ある種の”男性にとって性的な不能感を掻き立てられる存在であることを意味する。強姦とはとりもなおさず強烈な不能感の裏返しなのだ。男性は性欲を抑えきれないためではなく、暴力的な手段によって自分の優位性を立証するために強姦する。誤解してほしくないが、彼女にレイプされた責任の一端があるとかそういう主張ではない。しかし、本作の中で彼女がターゲットに選ばれた理由……そして犯人が、レイプ犯としてではなく覆面を脱いだ状態で、これからミシェルと性的に結ばれるかというところであわてて彼女を振り払い、「覆面がなければできない」と言い出す理由が、なんとなく心理として透けて見えてくる。

犯人が覆面を被った状態で彼女を襲うシーンは3回繰り返される……ほとんど同じ行為が繰り返されているだけにもかかわらず、最後に至ってはほとんど支配権がミシェルに移って攻守交替しているように見えてくる。何しろ、彼はもう覆面を脱いでいるのとほぼ変わらない。そしてここで彼はすべてを奪われるのである。この、ひどく歪んだ形においてではありながら確かにひとつの『勝利』こそが、観客にゆさぶりをかけてくるこの物語の本質ではないかと思いながら本作を鑑賞した。

勝利だとか支配権、攻守交替といった言葉を使ったが、もちろん性的な関係において勝ち負けなどといったつまらない概念を持ち出す必要は、本来ない。ここで注目しなければならないのが、決して他者に屈しない彼女の存在の仕方というものは、不条理な暴力を振るってくる世界に対するプロテストとして身につけてきたものなのだろうということだ。そしてその振る舞いが性的な関係を通しても発露してしまうだけなのである。

この映画の最後で、強姦犯の妻でありミシェルの隣人であるレベッカとの会話シーンがある。レベッカは自分の夫が犯罪者であることを知っていたのではないか……ということが、うっすらほのめかされる。ひょっとしたら過去にその暴力を受けてきた(そして、それでもなお沈黙、『我慢』を貫いてきた)のかもしれないということももちろん想像できる。ここで彼女が敬虔なカトリック信者であるというところが、主人公に対する対比として鮮やかに際立つ。ここもヴァーホーヴェンらしいポイントだが、ミシェルはもちろん無神論者だろう。世界のとらえ方と、その不条理さに対するリアクションが、ミシェルとレベッカでは決定的に異なるのだということが明らかになる。

長々と語ってはきたものの、この映画は全編に渡ってある種の「ずれ」……軋轢と言い換えてもいいが……を見せて笑わせるオフビートなコメディであり、決して小難しかったり、もやもやした後味を残して終わるような作品ではない。主人公は、この現実社会に確かに存在している暴力性というゆがみから生まれ出てきた、人によっては怪物的という評価を下してもおかしくない存在ではある。そんな人格を、例えばフェイマスというよりインファマスなこの監督の「ショーガール」で見られたようなあけすけな表現ではなく、もっと抑えたタッチで……ひとつひとつを見ていくとちょっとだけ常識からズレたというていどの場面の積み重ねによって、思わずニヤリとさせられるコメディとして描き切って見せたところに、この映画のすごみがある、と主張したい。
ガンビー教授

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