『アルビノの木』ロケ地には、群馬県南牧村が何度か登場する。
目と鼻の先にある群馬県上野村は、『クライマーズ・ハイ』のモデルともなった日航ジャンボ機墜落事故で一躍有名になってしまい、皮肉にも平成の大合併に頼らずとも自立できる村になってしまった。
反面、南牧村はと言えば、消滅可能性が高い自治体という不名誉な記録を更新し続けている。
若者が「村」を嫌う理由は、不便さだけではない。
村独自の、宗教にも似た人間関係の緊密さによる束縛だろう。
村にいる限り、個人は生まれた時の「立ち位置」から逃れられない。
その家に生まれた者は、一生、その家の看板を背負って生きていくことを無言のままに強要される。
都会人が、田舎暮らしを夢見るものの、予想外の予期せぬ人間関係の緊密さに嫌気がさすようになり、やがて「自由」と「自然」とは一致するものではないことを悟る。
『すみれ人形』『逢瀬』『水の足跡』。
これまでの金子監督の作品では「ファンタジー」として表現されてきたことが、この『アルビノの木』では、「現実」として表現されているように思う。
こちらの予想と期待に反して、ナギは白鹿様の化身ではなかったし、銃は現実に獣の命を絶つ。
登場人物たちは、一見、対立しているように見えるが、実は二極化も対立もなく、自然の中に生きる命のひとつひとつであるという点で同志なのだろう。
私が金子監督の作品を好きな理由は、自然への畏怖と畏敬の念というものをナチュラルに美しく描いているからである。
個人的なアニミズム礼賛と露悪趣味を、巧みに「話題作」に仕立て上げ、カンヌに愛された女性監督某には、永遠に通ることのできない道だろう。