さむ

ロマンスドールのさむのレビュー・感想・評価

ロマンスドール(2019年製作の映画)
5.0
#ロマンスドール #高橋一生

記憶。
待つことと待たせること。
老夫婦。
桜の枝。
洗濯機。
犬の名前。
空気が抜けた古いラブドール。

人間の感情というやっかいなもの。
言語表現の限界と映像表現の可能性。

夫婦とは何か、性愛とは何か、嘘とは何か、本当の愛とは何か…といった「何かの真実」を見究めようとしているのではないのだろう。

そもそも人間の感情は、言語によって作られるものだが、そういう「言語が作った人間社会のきまりごと」の範疇では語りつくせないことを「映像」が饒舌に語っている。


洗濯機のシーンは、自分にも既視感があって、数年前、同居人に先立たれたころ、風呂の排水溝やキッチンの流しや庭の池の水の流れをずっと眺め続けていたことがある。回る洗濯機の水の流れも。
水辺というのは、彼岸と此岸をつなぐものだ。

親から教えてもらったわけでもないのに、人間は水から生まれ水に還るのだということを細胞が憶えているのかもしれない。
水の中から死んだ人が帰ってきそうな気がしていた。庭の池の魚が跳ねる音を”還ってきた音”だと思い、池に駆け寄る…。
水の淵は絶望の淵であり死への憧憬の淵でもある。


人間が死別を乗り越えるのは、記憶の忘却と記憶の美化であるが、園子は、”forget-me-not" の思いを込めて、自分の肉体のラブドールを作ってほしいと哲雄に懇願する。
妻の肉体の型取り=夫婦の最期の営み。
永遠に忘れさせない。
愛することは本当にやっかいだ。
「誰かを愛することは、やっかいで、幸せだ。」
この映画のキャッチコピーが沁みてくる。

ラストの海辺で拾われる「空洞」な象徴物に、かつての誰かや何かを重ね合わせる。
魂を吸い取られたもののきっと誰かの役に立ったであろうその象徴物に、生身の人間を重ね合わせる。
海辺のシーンの高橋一生の表情と台詞は、絶望と諦観を経た人間独特の”希望”が溢れている。


近年の高橋一生は、(敢えてジャンル分けするなら)恋愛ものにも多くのオファーを受けているが、彼の出演作の恋愛ものの中では傑出している作品である。
高橋一生の目に写る蒼井優が素晴らしい。信頼関係に裏打ちされた名優同士の芝居というものは、素人が見ても分かるものだ。
ゲスな話だが、今回のこのふたりの芝居は、何らかの映画賞ものだと思っている。
少なくても私の中では最優秀映画賞である。

ピエール瀧の件で公開延期になったが、やはりピエール瀧は邦画界にはなくてはならない存在だ。
公開のために尽力してくれた制作者の方々には感謝しかない。
さむ

さむ