純

めぐりあう日の純のレビュー・感想・評価

めぐりあう日(2015年製作の映画)
3.7
原題の意味は「あなたが狂おしいほどに愛されることを私は願っている」。フランス映画らしい重さがありそうだなとこの日3本目の鑑賞作品としてチョイス(私もまだなんとか疲れ知らずで若い)。後半に物語のまとめとしてナレーションが入るんだけど、ほんとにこの数分間の言葉を観客に聴かせるためのストーリーなんだろうと思った。彼女自身の過去を振り返っての映画、って記事もどこかで読んだしね。

率直には地味な作品で、静かに重いって感じだった。淡々としている。しかも、状況設定をわかりやすく観客に説明してくれるわけでもない。このへんがものすごくフランス映画らしい。言いたいことを存分に言いたいからこのへんは自分たちで理解よろしく!伏線は十分に貼っておくから!っていうある意味多少雑な、でもある意味観客を信頼しての演出を徹底している。それが今回でいうと父親との関係だとか息子の容姿、年齢だとかにあたるわけで、ぼーっと見ていたら「なんでそもそもこの女のひと自分のお母さん探してるんだろう」ってもやもやしちゃうところが「あー確かにこれはルーツ知りたくなるだろうな」って腑に落ちる。ちょっと考えれば分かることは説明しない。最悪分からないならそこは分かってもらわなくていい、1番言いたいところはそこじゃないしっていう感じ、私は嫌いじゃないかな。こういう点が、俗に「アメリカ映画と比べてフランス映画は観にくい」って言われる所以だろうと個人的には思ってるんだけど。まあ特にこの作品は先にも述べたように監督の人生ともクロスしてる作品だから、尚更自分の言いたいことをクライマックスに詰めた作品だということがタイトルからもうかがえる。

エリザはすらっとしていて綺麗なんだけど、やっぱり養子だという自分の過去を引きずっていて、どこか影のあるキャラクターとなっている。母に拒否され息子と夫を拒否し、母に求められ母を拒否し、なかなか素直に求めていた答えに手を伸ばせない、やるせない葛藤が静かに語られているように感じた。養子問題にそこまで知識がない私はある程度の距離感でしかこの問題を見られなかったけど、個人的にうなったのは、エリザが理学療法士という設定。ひとと触れ合って身体のこわばりをほぐしていく彼女が、母親の心のわだかまりも癒していく。お互い様な母娘なんだけど、すれ違うふたりが肌と肌の触れ合いでお互いの距離を縮めていくその表現がすごく秀逸だし、よく考えられてるなあと感じた。

「あなたの誕生に何ひとつとして偶然はない」多くのひとが印象的だとして書き留めているこの言葉からは、どんな境遇だろうとどんな過去だろうと、人生そのものを、私という人間が生まれたそのたったひとつの真実を、まさに「狂おしいほどに愛」したい、という監督の願いと希望が込められているように思う。自分は望まれた命だったのか、両親はほんの少しでも自分を愛してくれたのかどうか。不安や悩みがあっても、あなたはたまたま生まれた命なんじゃない、生まれるべくして生まれてきたんだと、彼女が全身全霊をかけて肯定してくれる作品だった。
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