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帝一の國のはたのネタバレレビュー・内容・結末

帝一の國(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

2009年、菅田将暉は史上最年少の仮面ライダーとして俳優としてのキャリアを積み始めました。その役柄は脳内に存在する図書館を駆使して、論理的かつクールに敵を追い詰めていく美少年的存在でした。しかし、その8年後、なぜか彼はふんどし一丁で太鼓をドンドコ叩き、竹内涼真を勝手にライバル視して勝手にテスト競争を行ったりするという、熱血馬鹿すぎるキャラを演じていました。これはいったいなぜなのでしょうか?

この映画を撮った永井聡監督は、CM業界出身の映画監督で初の監督作品もまたCMをテーマにした「ジャッジ!」でした。同時に彼は故フィリップ・シーモア・ホフマンがデブの変態を演じるカルト映画「ハピネス」を好きな作品に選ぶシネフィルでもあります。そんな彼がかつて尊敬しているとnhkのラジオで推薦した人物は、はかの、マーティンスコセッシでした。永井監督はいつか彼のように男臭い映画を作ってみたいとコメントをしていますがそれを踏まえるとこの映画は永井版「グッドフェローズ」と言えます。

例えば、この映画の序盤から終盤までの構成は主人公赤場帝一が一年の時に体験した出来事をナレーションで語りながら進んでいくという構成ですが、これはマーティンスコセッシの「グッドフェローズ」「カジノ」などで用いられるお決まりの演出です。また、帝一が次期会長候補として慕う氷室ローランドがボクシング場で仲間とたまるシーンがありますが、スコセッシは実在のボクサーを描いた「レイジング・ブル」を描いています。そして何よりも大きな共通点は最後まで主人公が「懲りない」ところにあります。最後帝一はライバル視している大鷹 弾(竹内涼真)に自分の票を譲り、大鷹を生徒会長にしますが、実はそれは自分の性格をよく見せるための「罠」だと判明します。「グッドフェローズ」の主人公ヘンリーヒルは小さいころからギャングになりたかったと言いながら最終的に仲間をFBIにチクり警察の監視を避けることができるようになります。しかし、ラスト彼の見せる顔は「つまんねえなぁ」という感情が駄々洩れで、彼が明らかにギャングに戻りたがっていると暗示しています。また、スコセッシは激しい暴力描写の流れる映像にポップスを使うことで登場人物の心情を語らせるという演出を行います。ラスト、帝一が勝者の顔をしながら演奏する曲は「マリオネット(操り人形)」・・・明らかに狙ってます。

では、なぜこんな役を菅田将暉さんがやる必要があったのでしょうか。これには彼の歌手としての経験が関与していると感じられます。彼は小さいころはとても声が高かったらしく、ボーイソプラノを軽々とこなせるほどの腕前だったそうです。しかし、思春期に彼は「声変わり」という壁にぶち当たり、高かった声は大きく低くなり、一時期は音楽すら聞かなくなってしまったそうです。こうして考えてみると彼のデビュー直後の役柄は「美少年」や「女装男子」など男らしさを欠いた役が多いと気づかされます。しかし、彼は「共喰い」という作品で日本アカデミー賞新人賞を受賞し、転機を迎えます。その映画で彼が演じた役は暴力的な父親との血のつながりを恐れる少年でした。彼はこの作品を通して自分の内側に存在する「男」と向き合うことを決意したのではないでしょうか。

帝一は作中で何度も「どうして生徒会長になりたいの?」と聞かれますが答えられないシーンがあります。それは終盤で、生徒会長を目指してほしいという父親の圧により大好きなピアノをけなされるというトラウマを体験したからだと明らかになります。帝一は役を演じた菅田将暉同様、自身の性別から来る決めつけや壁に苦しめられた少年です。ラスト、彼が本来の目的であったピアノ演奏をしながらも、相変わらずみんなを支配してやると息巻いているのは、彼が自分の中にある「男」としてのトラウマと和解できたからでしょう。菅田将暉さんは2018年の日本アカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。その役は父親を自殺で失った天才ボクサーの役でした。
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