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太陽の蓋のan0nym0usのネタバレレビュー・内容・結末

太陽の蓋(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

Fukushima50とは違う視点で見る原発事故。
フィクションではあるけど、公にするには不都合な真実の存在を感じさせる…そんな内容でした。

『太陽の蓋』

蓋なんてできないものに、蓋をしようとする…
それは愚かな行為なのかもしれませんね。

原子炉を、隠蔽体質を揶揄する表現と重ねたようにも感じてしまう、なかなか秀逸な題名です。

いかに私たちが何も知らず、メディアやこういう作品から得たインプットによって容易く『操作』されてしまっているかを…思い返させてくれました。

大前提として『大震災』『大津波』といった、それ自体も未曾有の災害が招いた『事故』でしたよね…それ自体は『誰か』が悪いなんて言えない。

だけど、災害時の対応策が足りていなかったのではないか…とか、管理体制などに焦点を当てると『責任の所在』が必要になってしまう。

事故が起きた。恐ろしい危険に晒された。
だから『原発』は…なんて言葉が溢れ出す。

それまでは原子力の生み出すエネルギーの恩恵を受けていたのに…すぐに掌を返す私たちも、客観的に見て『無責任』ですよね。

この事故の当時も、そしてコロナ禍の最中でも…いまいち姿の見えない『有識者』たちの意見を判断材料にする事で、責任は分散して有耶無耶になっていく。

『誰か』や『何か』の安全を担保するために、スピードが必要な危機への対処が遅れていく…それは脚色ではない事実。

誤った認識、誤った情報に振り回され…
事態が悪化する事だって起きる。

きっといつか、重大な『手遅れ』が起きて…
『取り返し』がつかなくなるんでしょう。
戻れない状況になるまで、逃げ続けてね。

なんにせよ私たちも…責任を負う立場です。
『国の問題』を『他人事』にしすぎている。

『国の問題』は『この国に住む人々の問題』

その意識の低さが…この国の現状を招いてる。
自分自身も一端である事を忘れてはいけない。

これまでは幸運が続いてただけかもよ?(苦笑)

『私たちは悪くない』だとしても…
私たちで何とかしなきゃいけないのが現実。
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