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ブレードランナー 2049のTOSHIのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
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「ブレードランナー」の衝撃は、未来を光輝く物ではなく、宇宙開発の労働力としてアンドロイド(レプリカント)を使ったり、地上では飛行する自動車が飛び交うなどテクノロジーが飛躍的に進歩する一方で、日本等外国の文化・製品の波に押しまくられ、薄汚い建物が残存するディストピアとして描いた事にある。何といっても降りしきる酸性雨が、それらの全てを包みこむ世界観が衝撃だった(短髪でコート姿の男が、雨に濡れながら捜査を行う、ハードボイルド的な格好良さもあった)。ヴァンゲリスのシンセサイザーによる音楽が、更にその世界観を増幅させていた。
ソフト化と共に年々評価が高まり、SF映画の金字塔とも呼ばれるようになった訳だが、前作で描かれた2019年が現実に近づく中、まさか35年ぶりに続編が作られるとは思わなかった。これだけ年数が経って、敢えて続編を作る意味があるのかと懸念したが杞憂で、熱狂的ファンの厳しい審美眼も満足させるような、超一級の作品だった。

前作では、造反したレプリカントの抹消を目的とするブレードランナーのデッカード(ハリソン・フォード)が捜査の過程で、タイレル社のレプリカント・レイチェル(ショーン・ヤング)と恋愛関係になったが、ディレクターズカット版ではカットされていた、劇場版のラストで暗示された二人の逃避行を踏まえた内容になっている。
時代設定は前作の30年後の2049年だが、2022年には人間になりすまそうとしたレプリカント達の反乱により、宇宙空間で爆発した核兵器から放射された電磁波によって、世界中の磁気データが一斉に無効化される「ブラックアウト」が起こり、レプリカントが製造禁止になった事からタイレル社は倒産し、遺伝子技術で世界の食糧危機を解決した天才科学者、ニアンダー・ウォレス(ジャレッド・レト)率いるウォレス社に買収されていた。ウォレス社は、人間に従順な新型レプリカント・ネクサス9型の開発に成功している。

冒頭から大気汚染が極限まで進行し、季節も判然とせず、絶望的に悪化した地球環境の描写が、強烈な印象を残す。温暖化による海岸地域の消失など、前作に比較しても、より現代の現実の環境問題を反映した描写になっている。
ロサンゼルス市警察に所属するブレードランナー、K(ライアン・ゴズリング)は旧型のレプリカント、ネクサス8型の解任処分を担当している。上司・ジョシ(ロビン・ライト)の命令により、ウォレス社の開発した大規模農場に隠れていた、ブラックアウトの計画犯の一人である農夫・モートンを急襲するが、早々にKはネクサス9型である事が明らかになり、前作では人間が担当していたブレードランナーをレプリカントが担当している事に驚く(ヒゲ面のライアン・ゴズリングが、新型レプリカントという設定には笑ってしまったが)。
Kはモートンを射殺するが(モートンは、新型レプリカントは奇跡を見た事がないから、人間の言いなりになっていると謎の言葉を残す)、発見して持ち帰った不審な小箱には、30年前に埋葬されたレプリカントの小骨と毛髪が入っており、帝王切開で出産した痕跡が見られた。ジョシはレプリカントが子供を産んだ可能性に、人類社会を崩壊させるリスクを感じ取り、関わった危険分子のレプリカントを発見し、解任するよう指示する(Kは、レプリカントの出産に魅了されているようだ)。そして遺骨の身元が分かり、30年前に姿を消したブレードランナー、デッカードの関与が浮上する。
再び農場を訪れたKが庭の木に見つける、子供の頃の記憶にある馬の玩具に書かれたのと同じ「10.16.21」という日付(ブラックアウトの前年)。自らの存在を疑うKは、記憶のスペシャリストであるアナ・ステリン博士(カーラ・ジュリ)を訪ね、レプリカントに本物の記憶を埋め込む事は違法だと知る。またウォレスは、レプリカントの出産の事実を知り、願望である繁殖のため、その子供を捜し出すよう、部下のレプリカント・ラヴ(シルヴィア・フークス)に、Kの追跡を命じる。そして意外にもある場所で見つけた馬の玩具の痕跡を追うKは、遂にデッカードに遭遇する…。壮絶な展開の末、自らの存在を自覚したKが取る、愛とプライドに溢れた人間的な行動。ラストシーンには、静かな感動があった。

終盤明らかになる謎には、ブラックアウトが大きな影響をもたらしていた。また前作の、折り紙が印象的なデッカードの同僚ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)や、レイチェルが驚くような形で登場している。全編を通して、セット・美術・CGが高いレベルで融合した映像が、爆音上映のサウンドと一体化して圧倒的であった(唯一の不満は、音楽がヴァンゲリスでない事か)。
前作に比較して、レプリカントの存在が多様化しているのが本作の特徴だ。Kとラヴのように立場の違うレプリカントの対立(ラヴは同じ新型のKに比較しても、人間味が無く冷徹)、人工知能による立体ホログラムで表現される、Kのバーチャル恋人・ジョイ(アナ・デ・アルマス)、ジョイが売春婦のレプリカントと融合して、Kとセックスするシーンまである。バーチャル恋人なぞまさに、人間のための物である筈だが、レプリカントがそれを必要とする描写により、前作より一段と人間とレプリカントの境界が曖昧になり、設定された寿命が無くなり、生殖能力を獲得するに至っては、知性・身体能力に勝るレプリカントこそが進化した人類であるかのようだった。
35年来の最大の疑問「デッカードはレプリカントなのか」についても、前作同様、明示は無い(元々、前作の監督で本作総指揮のリドリー・スコットはレプリカントだと明言しているようだが)。むしろ問題は複雑化・深化しており、「レプリカントであるか、ないか」を越えて、「そう問うこと自体の問題性」が主題として提起されているのだ。  ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、「メッセージ」でも、異星人との対比で人間の存在を根源的に問うていたが、本作でも人間の存在について、観客ひいては現代社会へ挑戦的な投げかけをしてきている。遠くない将来、人類は本作のような観点で生命倫理について考える日が来るだろう。そんな予感に満ちた、まさに今、制作された意味がある、最高の続編だ。
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