TOSHI

セールスマンのTOSHIのレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
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オープニングが、印象的だ。アパートが強引な工事によって倒壊の危機に晒され、主人公の夫婦を含む住人達が、慌てて飛び出す。経済成長による乱開発が進むテヘランの現状を表すと共に、仲睦ましい夫婦にこれから生じる亀裂を暗示していると言えるだろう。突然のアパート取り壊しの決定で、強制退去される事になった夫婦は、別のアパートに移り住むが、以前の住民の荷物が残っていて、不穏な空気が漂う。
エマッド(シャハブ・ホセイニ)は高校で文学の教師をする一方、妻ラナ(タラネ・アリシゥスティ)と共に小さな劇団で、俳優として活動しており、上映予定のアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の準備に追われている。イランでアメリカの演劇作品を上演するのは、リスクのある事らしく、イランの中産階級ではあるが、リスクを伴う芸術活動をしているという意味で、典型的とは言えない夫婦の設定が巧妙だ(セールスマンの死は、アメリカの変化によるある社会階級の崩壊を描いた作品であり、イランの現状にも重なる)。
そんな夫婦に事件が起こる。エマッドの留守中、浴室にいたラナが謎の闖入者に襲われたのだ(直接言及されないが、レイプの可能性が示唆されている)。アスガー・ファルハディ監督の過去の作品「彼女が消えた浜辺」や「別離」と同様、事件の瞬間の描写を省略し(映画はある意味、省略の芸術である)、観客の想像力を刺激しつつ、その後の展開に引き込んでいく演出に唸る。
近隣住民達の話から、以前の部屋の住人は娼婦で、多数の男性が出入りしていた事が分かり、その男性達の一人が犯人ではないかという憶測が浮かび上がる。直ぐに警察に通報しない事に驚くが、男尊女卑が激しくレイプされると女性も罪に問われる、イランならでは社会的な背景がある(前半に、タクシーでエマッドは何もしていないのに、隣の女性から触らないでと言われ、それが過去のレイプ経験のトラウマから、男性嫌いになった人だと分かるエピソードが効果的に使われている)。
事件が警察沙汰になるのを頑なに避ける(自身が逮捕され、演劇の公演ができなくなるのを避ける意味もある)ラナに対して、痺れを切らしたエマッドは復讐心から、独自に犯人捜しを始めるが、二人それぞれの、性格の予期せぬ側面が露呈し始める。
部屋に残されていたキーから、放置されていた車を特定し、辿り着く意外な犯人像。そして終盤、犯人と対峙した夫婦それぞれの行動は、人間の本性が抉り出されるようで、胸を締め付けられた。ファルハディ監督の、複雑で緻密な脚本と繊細な心理描写、リアル過ぎる状況を作り出す演出力に感嘆した。
1990年代のイラン映画ブームで描かれたイランは、荒涼とした大地を子供達が駆け抜けるといった、いかにも先進国からイメージする発展途上国の姿だったが、それを覆したのがファルハディ監督の、「彼女が消えた浜辺」(2009年)だった。高級車に乗り、携帯電話を使いこなし、バカンスを楽しむ登場人物達に驚いたが、本作でもそういった経済的な発展・洗練が描かれる一方、イスラム教の戒律に縛られる社会の閉鎖性が残存し、人々の心を抑圧している事が見事に浮き彫りにされていた。

トランプ大統領によるイスラム圏7カ国の入国禁止措置、そしてアリシゥスティやファルハディ監督のアカデミー賞授賞式のボイコットで、イラン映画や本作にもネガティブなイメージが降り懸かったが、本作の外国語映画賞受賞は、政治による世界の分断を許さない、芸術に持ち込ませないとするアメリカの映画人の意識が、結集した結果なのかも知れない。
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