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ワンダー 君は太陽のこどものレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
5.0
「人生は速すぎて、お互いの顔を見る時間もない」

この惑星で最もいい映画。

オギーのお姉ちゃんヴィアは、オギーを太陽として家族は回ってると、太陽の周りを回る自分は主役ではないと思っている。確かにヴィアの人生はオギーの存在によって大きく変わっただろう。だけどそれはオギーにとっても同じで、ヴィアの存在はオギーにとって大きな存在になっているだろう。オギーの存在が最も大きく、中心に見えたとしても、実際は互いの引力を干渉しあう星々のようなもので、なにか絶対的なものが一方的な影響を与えているなんてことはない。だからこそ、様々な登場人物の、それぞれの人生を掘り下げていく造り、そして彼らがフューチャーされている時はオギーの存在感が主張され過ぎない本作の魅せ方は、群像劇としての大正解だなと感じる。

良い人しか出てこないという意見、批判?は、それはまたちょっと違うのかなと思った。
例えばヴィアの「元」親友、ミランダ。
彼女だって、「映画だから見られた裏のエピソード」を我々は見ることが出来たからこそ、あぁミランダは実は寂しくて、やっぱり良い奴だったんだな、と思うことができるのである。サマーキャンプのエピソードが無かったら、多分ミランダはよくわかんない奴で終わっていただろう。
こんな風に、パッと見では理解し得ない人々の人生を、我々は「映画」を通して見ているから、その人の裏の人生を慮り、総合的に「良い人だった」という評価をすることができる。
そういう部分で、この映画は人間の二面性というか、良い奴悪い奴という二元論で語ることのできない人間の本質を軽視してるような感じはしなかった。
寧ろ、全員が良い奴だったと括ってしまうのは、この映画が伝えたかったことに反するんじゃないかなと思う。
だからこそ、オギーは「よく見ろ」と言うのだと。
悪い奴に見えても、絶対に理解し合えないと悟った奴でも、良心の欠片も持っていない人間は居ないんじゃないか。その小さな希望は、実はとてつもなく大きな希望なんじゃないかと、訴えかけられたような気がした。
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