女性映画の名手と呼ばれる成瀬巳喜男監督の代表作。
原作は、「めし」「稲妻」「妻」「晩菊」に続き林芙美子の同名小説。
脚本は水木洋子。
(1955、2時間3分、モノクロ)
1943年、
ゆき子(高峰秀子)は、タイピストとして当時日本が進駐していた仏印(フランス領インドシナ)のダラットに渡り、先に赴任していた農林省技師、富岡(森雅之)と出会い、内地に残した妻がいると知りながら愛し合う。
終戦後、
ゆき子は、妻と別れて君を待っているとの言葉を信じ、ひと足先に帰国した富岡のもとを訪れるが、自宅にはまだ妻(中北千枝子)がいた。
失意のゆき子は富岡と別れ、米兵(ロイ・ジェームス)のオンリー(パンパン)になる。
しかし、再び、富岡が尋ねていくと、お互いを責めながらも、結局寄りを戻す。
だが、2人で行った伊香保温泉で、富岡は飲み屋の若妻おせい(岡田茉莉子)に手を出す…。
やがて、遠く離れた屋久島(沖縄返還前です)で働くことを決めた富岡に、ゆきこは一緒に連れってと懇願する…。
~他の登場人物~
・ゆきこの義兄、伊庭(山形勲):かつてゆきこの貞操を奪い、4年間関係を続ける。戦後、大日向教(新興宗教)の教祖になって金回りが良くなる。
・おせいの夫、向井清吉(加東大介)
・飲み屋の娘(木匠マユリ)
・屋久島のおばさん(千石規子)
・仏印の所員・加納(金子信雄)
「ねえ、どこまで歩くのよ。私達、行くところがないみたい」
「そうね、どんな立派な女でも男から見れば女は女ね」
玉井正夫の撮影によるモノクロ映像が美しい。
斎藤一郎の音楽もとてもよい。
敗戦後の荒廃した日本社会を背景にした究極の腐れ縁映画。
脚本家の水木洋子が、なぜ二人は離れないのかについて「身体の相性が良かったからに決まってるじゃない」と語ったようだが、この部分だけ取りあげるのは、もちろん適切ではない。
2人の恋愛が戦時中と敗戦後の荒廃した日本そのものを体現していることが単なる不倫映画と趣を異にしている。
子役時代から活躍していた高峰秀子は、「浮雲」が公開された1955年、監督で脚本家の松山善三と結婚。
本作では、自堕落な男を愛して自滅してゆくヒロインを鮮烈に演じ、大人になってからの代表作の一本とした。
なお、「浮雲」(1955)を笠智衆とみて感動した小津安二郎監督は、「宗方姉妹」(1950)で(大人になって)一度だけ起用した高峰秀子に、彼女への生涯たった一本のお褒めの手紙を出している。
~「成瀬にとってもデコにとっても最高の仕事だろう」というつぎに「早く四十歳になれ、そして、俺の作品にも出ておくれ」とあった。その一行の文章に、私は三度、心が震えるのをおぼえた。~
「小津安二郎・人と仕事」高峰秀子
小津監督がもう少し長生きしていたら、高峰秀子をどのような役で使ったのだろうか…。
なお、養女の斎藤明美は、高峰秀子について、
「野生動物のように、精一杯生きていた。その姿は美しく、生きることそのものに意味があると思わせる」
「目立つのも派手なことも特別扱いも嫌いな人で、女優としての仕事は苦手だったと思っていた。それでも仕事の"本分"というものが分かっていたから、一生懸命に役の女性を演じていた。撮影を休むことも遅刻することもなかった。忘れ物もしない。…そして高峰はとても合理的な人間で話が短い。説教、自慢話、愚痴を言うことは一切ありませんでした」
「高峰の人生を知れば、生きる希望が沸いてくると信じているから。子役の仕事のため小学校は6年間のうち1ヶ月しか通えず、13歳からは親類十数人の生活を支えた。学ぶ機会を奪われ、肉親からの愛情もなく、職業の選択もできなかった。それでも日本映画史に残る大女優になり、自分で字を覚え名文家として知られるようになった。…高峰は逆境の人生を自分で克服した…」
「実母を亡くし、5歳の時に叔母に連れられ青函連絡船で本州に渡った。その時、高峰の運命が決まり、波乱に富んだ人生が始まったのです」
と述べている(北海道新聞「高峰秀子の美学 後世へ」2024.1.1)。