いののん

荒野にてのいののんのレビュー・感想・評価

荒野にて(2017年製作の映画)
4.5
泣きじゃくることができたら、どんなによいだろうかと思っていた。まだ15歳のチャーリー君。誰かに、ぎゅっと抱きついて、想いの限り、泣くことができたら。


私には、この映画は、「フロリダ・プロジェクト」と対になっている作品に思えた。これは、あのムーニーちゃん母子の、10年後の姿。ムーニーちゃんのママが10年経ったら、この映画の父親になる。ムーニーちゃんとは随分違うけれども、10年経ったら、この映画のチャーリー君になる。チャーリー君が求める叔母さんは、あの映画だったら、ウィレム・デフォー、ということになるのだろうか。ムーニーちゃんの親友(大好きで、そして、できることなら、私は親友のジャンシーちゃんになりたいと思っている)は、この映画だったら、馬のピートにあたるのかもしれない。


フロリダ・プロジェクトの母子、本作品の父子、このような親子が、実際、とても多いのだろう。まさに現在の映画だ。今、描く必要のある、映画だ。親子はとても愛し合っていて、互いを必要としていて、確かにそこに愛はあるけれど、なんとも脆い糸なのだ。親子はそこにいるけれど、そこにホームはない。ちょっとした外圧がかかれば、簡単に吹き飛ばされてしまう。家が吹き飛ばされたら、屋根も柱も壁も吹き飛ばされたら、そこは荒野だ。目の前には、荒野が広がる。


かたや、フロリダ。かたや、荒野。でも、繋がっている。


荒野は、まるで、チャーリー君の心象風景のようだ。だから、淋しくて哀しくてどうしようもないけど、それでもまっとうでいようとして、ひたむきに歩いて行くから、そこには、ちゃんと風景がある。吹きすさぶ荒野だけじゃない。綺麗な夕陽がある。広い大地には、1本の大きな樹木がある。満点の星空がある。行く先々で、親切とは言い難いかも知れないけれど、救いの手が差し伸べられる。それはやっぱり、チャーリー君が、よいこ、だから。まあなんてよいこなの、だから。


馬のピートとチャーリー君とで、歩く旅。歩き続ける旅。馬は賢いから、チャーリー君の想いは、きっと全部、わかってる。決してまたがって乗ろうとはしない、チャーリー君の想いを、全部、受けとめたのだと思う。


チャーリー君が、たどり着いた先で、彼の話す言葉の全てが、愛おしい。こんなにも健気で、こんなにも正直で、こんなにもこんなにも。




*もしかしたらそうなのかな、と思って観てたけど、やっぱり、あれはブシェミだったのか! ブシェミ、すげえなあ!
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