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新感染 ファイナル・エクスプレスのtanataniのレビュー・感想・評価

2.5
京橋の試写室で見てきました。おそらくblu-rayか何かの再生だったと思います。根本理恵さんの字幕でした。
コン・ユさんが娘スワンとコミュニケーションをとろうとしないお父さん役で、プサンに向かう列車の中でいろいろ大変な目にあいます。そういうわけでちょっと賢いお父さんは娘スワンのために、そして知らない他人のためにけっこう命を懸けてがんばってしまいます。娘スワンはお父さんを見直し、慕うようになっていくというお話でした。

登場人物たちがほとんど列車内のためシーンが単調で、ゾンビがこんな場所にまでいる!みたいな驚きの場面が少ないのが残念です。徐々に世界(ソウル)が感染していき、何か不穏なものがじわじわと広がって日常が壊れていくというゾンビ映画での枕のようなものもあっさりしているのでシーンでの印象深いものがなかったですね。
冒頭で言えば、車が急ブレーキをかけて観客にショックを与えるシーンが二度もあったのが不恰好だなと思いました。二度目はさすがにこちらも予測できるしね。
タイトル直前の鹿の立ち上がるシーンはよかったし、鹿の地面にこすりついた血の感じも印象にのこる。お、鹿が来た、おもしろくなりそうと思ったところで、タイトルの入り方がなんかかっこわるい。意味もわからないけど、微妙に文字か文字間が拡大しています。

KTXに乗ります。韓国のオモニが何か魚の干したものを手でむしったり、ゆで卵の殻をむいたり「あめちゃん」を配るシーンは大好物です。オモニがいろんな食べ物をこんな場所で!という場所で手で扱うところをこれからもいろんな映画で見ていきたいですね。新幹線の内装も素敵です。乗り物パニック映画のジャンルのように様々な他人たちが列車に乗り込み席を探して座っていきます。ここはわくわくします。この後それぞれの物語が始まり群像劇のようになるのかなと期待します。

ゾンビのファーストコンタクトのシーン。大事なシーンです。あっちゃんみたいな少女がジョジョの漫画のキャラクターの見栄のように不自然な姿勢で立ち上がります。悪くはない。顔のアップは、これは普通か。こわくもないし、ユーモアも感じない。

群像劇のようになるかと思われたが、縦型の列車では結局ゾンビと人との境界部分はそう多くなく、主要な登場人物たちは一箇所に集まり協力していることが多かったです。ゆで卵の老姉妹のストーリーは独立していて最後の別れの部分はよかったけど、妹の最後の行動はいやでした。
群像劇ではなかったけど、童貞野球部とおしゃれ元プロレスラーとスワン父の三人が協力していくところは楽しかったですね。トイレでのやり取りは本当にほっとしました。ただ気になったのが、まだこれから父になるところのプロレスラーがそのセリフをいうのか?と思いました。おかしいでしょ。

ほかにも気になったのが、このゾンビすごく知能が低いのです。街ではそんなに感染広がらないでしょと思ったし、映画の舞台である逃げ場のない列車内の恐怖を描いたということにしても、ゾンビの視界を袋などで隠せば動きが止まるくらいならもう少しやりようがありそうだし、列車から落とすとかもすればいいのにとか思ってしまいました。夜が来ればいけるんじゃないのとか。

後半、観客が感情移入していた主要な登場人物が次々に犠牲になっていきます。短い間にです。それはいいんです。ただそのたびに同じ悲しげな曲を何度も繰り返すので、やめてーと思いました。たしかスローやアップも使っていたので緊張がそのたびに途切れてしまいました。



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ここからネタバレです。********************
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いろいろあって希望が見える感じで終わりました。
まとめるとソンギョンさんがとても美しく、妊婦でありながらがんばるからひやひやして、電車の運転技術を見事に披露するところはさすが(なぜ)と思いました。そのお腹の子の名前はどういう意味なの? ハワイの歌ってどんな事情があるのかしら、と疑問は残ってしまいました。大事な場面だけに、なにか引っかかる。

言い忘れてたけど、植木鉢でゾンビの頭を割ってほしかった、おしい!

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09/04の追記

他の人の感想から、視聴前も視聴後もしばらく、ついコンユさんは最初は悪い人というイメージを持っていたけど、でも後から考えるとそうでもない、僕らと同じよくいる普通の人物像ではないかという気もしてきました。物語の流れを、「コンユさんが悪い人から自分を犠牲にするいい人になる」というものと誤解していたんじゃないかと思えてきたのです。
駐車場で電話の声が大きくなってしまったのを謝る感じや、自家用車の汚れを気にする感じ、デスクでファストフードを食べてそのごみを捨てるしぐさ。僕らと同じようないい人でもなく悪い人でもなくという感じですよね。ただ日々が忙しく、少し疲れている、そんな感じもしました。
部下や昔の友人におそらく慕われているところもあって、悪い人ではなさそうです。
たしかに、年配の方に席を譲った娘に「自分のことを心配しろ」としかるけど、おしゃれ元プロレスラーとの対比で悪人の感じがするけど、コンユさんのほうが正しいかもしれない。おしゃれが「俺たちがいるのになぜドアを閉じた」と責めるところもコンユさんを悪く見せるけど、実際はコンユさんも躊躇した結果閉じていたし、途中下車の駅ではおしゃれさんも似たようなことをガラスの扉でくりかえしていたわけです。プロレスラーにはおそらく結婚したばかりであろう美しい奥さんがいて、コンユさんには関係が冷えてしまった元奥さんしかいない。そういうところを思っても、もともと悪く思われていたコンユさんがかわいそうに思えてきました。
(途中下車の駅では自分たち二人だけ隔離を避けようとするところもあるけど、うーん、それはちょっと悪いかな。)

そうなってくると、スワンももう少しお父さんの気持ちも考えてよ、ともいろんな場面で思ってしまう。若干偽善っぽくも見えなくもないかな。

もうひとつ、考えさせられたことが、最後まで生き残る二つの組の対称性。それは、誰かが命をかけて助けてくれたから生き延びていく「恵まれた」人々と、誰かの命を文字通り蹴落とし、踏みつけていくことによって生き延びていく「恵まれない」人物。対比のようで、でも結局両者とも他人の犠牲の上に生きているという事実。
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