逃げるし恥だし役立たず

十三人の刺客の逃げるし恥だし役立たずのレビュー・感想・評価

十三人の刺客(1963年製作の映画)
3.5
幕府の密命をおびた十三人の刺客が、明石五十五万石の藩主を狙って六十日間に亘る血のにじむ辛苦の末、中仙道の宿場を舞台に凄まじい殺戮戦を展開する過程をそれまでの時代劇では試みられなかったサスペンス手法を取り入れたリアリズムタッチで描き出す東映時代劇スター総出演で贈る傑作娯楽時代劇。『十七人の忍者』の池上金男がオリジナル・シナリオを執筆、工藤栄一監督演出。
弘化元年、明石五十五万石藩主・松平斉韶(菅貫太郎)は時の将軍は十二代家慶の異母弟であり、明年には老中になる身であるにもかかわらず、性格は異常かつ残忍にして好色、そのため参勤交代の行列も東海道を通れず、中仙道を利用せざるを得なかった。しかし、尾張領木曽上松において、陣屋詰の牧野靭負(月形龍之介)の一子、妥女(河原崎長一郎)の妻・千世(三島ゆり子)に手を出し、妥女と千世の夫妻が自害する事件が起こり、明石藩江戸家老・間宮図書(高松錦之助)が老中・土井大炊頭利位(丹波哲郎)の門前で藩主・斉韶の暴君ぶりを訴えて割腹し果てた。事態を憂慮した老中・土井大炊頭利位は、非常手段として公儀御目付役・島田新左衛門(片岡千恵蔵)に斉韶暗殺を命じた。その日から新左衛門の知友であり徒目付組頭・倉氷左平太(嵐寛寿郎)、三橋軍次郎(阿部九州男)、樋口源内(加賀邦男)、甥である島田新六郎(里見浩太郎)、島田家食客の平山九十郎(西村晃)、平山の知人の浪人・佐原平蔵(水島道太郎)などの強者達十一人の協力者を集めて暗殺計画に没頭するが、此の暗殺計画を察知した明石藩御用人・鬼頭半兵衛(内田良平)が立ちはだかる。
片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介の「七剣聖」に丹波哲郎や西村晃や内田良平の中堅、里見浩太郎や山城新伍や菅貫太郎や藤純子(富司純子)の新生を加えた東映時代劇豪華スタア総出演、時代劇映画の歴史に残る三十五分間の大殺陣など見所が多々ある白黒チャンバラ娯楽映画。工藤栄一監督が名を馳せた『十一人の侍』や『大殺陣』などの所謂"集団抗争時代劇"を代表する作品ではあるが、東映が時代劇映画から任侠映画や実録暴力団路線に移行する過程に生まれた所詮は徒花で幕間繋ぎであり興行面での惨敗から東映時代劇の終焉を予見させる作品となった。
小さな宿場を要塞化して戦う『七人の侍(1954年)』 に対して、本作は罠を仕掛けて敵を誘き入れて戦うが、心理的攻防から始まり後半の大乱闘、宿場の狭隘な路地での殺陣の連続はダイナミックでスピード感があり素晴らしいのだが、半世紀以上昔の白黒チャンバラ娯楽映画は今観るにはキツく、新たな興奮や発見を求める事自体が酷な話であろう。芥川隆行のナレーションと名優達の所作や佇まいは格調高い雰囲気を感じさせて、登場人物の人物描写を極力排除して即物的にドライに描き、天下泰平の世に真剣で戦ったことがない侍の殺陣を表現するために集団戦をメインにして敵味方が疲れ果て砂に塗れた肉体的な戦いを映像化している。将軍の愚弟に私怨はなけれども命を受けた以上は斬らねばならぬ島田新左衛門(片岡千恵蔵)達の旗本の七百五十石の十三人に対して、主君の非道に対する怒りと明石藩を潰してはならぬと複雑な心中で御守りする鬼頭半兵衛(内田良平)率いる明石五十五万石の五十三騎の互いに葛藤を抱えながらの不条理な死闘の果てには新左衛門や半兵衛達の虚しい死体の群、武士の本質と云う重厚なテーマを描いた、チャンバラの醍醐味よりも従来のチャンバラ映画を覆すリアリティーを評価するべき作品である。
豪華スタアを総出演させた割には演者達への焦点がぶれて一貫しないのは撮影所のスターシステムの弊害であり、暴君を怪演した菅貫太郎(松平斉韶)、武士の美徳を体現した月形龍之介(牧野靭負)や内田良平(鬼頭半兵衛)以外は何だかなぁ…殺陣に限っては機敏な剣劇を観せる嵐寛寿郎(倉氷左平太)は場違いなボケ老人みたいだし、藤純子(加代)との結婚のために計画に加わった山城新伍(木賀小弥太)が郷士の倅なのに潔く散ったのに対して、剣の達人の西村晃(平山九十郎)は刀が折れてしまって恐怖の表情で逃げまどう最期ってさぁ…片岡千恵蔵に至っては敵将が誘い込まれるまで何もしないんだから…