純

ドリームの純のレビュー・感想・評価

ドリーム(2016年製作の映画)
4.9
「理不尽」に立ち向かう姿勢は、そのひとがどんな信念を持っているかを語るし、逆境をどう生き抜くかは、そのひとの強さと誠実さを示すものなんだろう。

まだ科学技術が発達していない1960年代、宇宙開発に必要な計算は、全て人の手によって行われていた。非常勤として雇われていた、優秀な黒人女性たちによって。彼女たちは当たり前のように蔑まれ、迫害され、苦しめられながらも、誇りを持って国に貢献し、何より、自らの尊厳を守り抜いた。

天才的な数学的頭脳を持つキャサリンは、その能力を買われて重要な部署に入るも、黒人女性は自分だけで、周りの白人男性たちは汚いものでもあるかのようにキャサリンを見、扱う。黒人女性というだけで、能力はおろか人としても見てもらえない。それでも彼女は愚痴を漏らしたり事を荒げたりしない。諦めだってあったかもしれない。でも、諦めたから彼女は声を上げなかったんじゃない。彼女は、自尊心と、彼女自身の賢さ、強さで、自分自身を鼓舞していたんじゃないかと私は思う。現状を嘆くだけなんて情けないことはしなかった。いつだって、与えられた場所で可能な範囲を超えた働きをしてみせたし、その逆境を乗り越えるために自分から一歩を踏み出した。たったの一度だって、受け身だったことなんてなかったんだよね。広い敷地内で黒人用トイレは一箇所のみで、ポットも、給水場も、借りられる本も、全て白人と黒人とで分けられていた。あまりに正当化された差別だったけど、声を上げないことは同意なんかじゃなくて、自分たちができることを通して、行動という名の声を上げていた。

十年以上無遅刻無欠席で尽くしているドロシーも、本当に強くてたくましくて、大人の女性だった。不平等な職場に、いつだって真っ当な意見を持って、出しゃばらず、常に皆のことを考えていた。抜け駆けしてでも自分の働きに見返りを求めてもいいくらいなのに、先見の目を持った優しい彼女は一人勝ちしようなんて考えない。先頭に立ちながらも、ちゃんと皆の幸せを考えていけるリーダーだから。どんなに罵られても、相手を罵ることもしないし、やけになって仕事を放棄したりすることもない。相手にきちんと意見は言うけれど、いつだって相手への敬意を忘れない。なんと謙虚で、強い生き方なのか。

技術士を志すメアリーも、男性のつく仕事だからだとか、必要な資格を取るには白人専用の学校に行かないといけないからだとかのくだらない理由で夢を諦めるように言われる。でも、彼女は裁判所に赴いて、本当に心震える力強いスピーチをしてくれた。自分の能力をひけらかしたり、感情論でわめいたりするわけじゃない。不可能に挑戦するひとりの人間として、精一杯努力したのだ。彼女の強気でセクシーで前向きなところ、愛さずにはいられなかったな。誰もが認める有言実行タイプの女性だ。

印象的だった"We are living in impossible."はNASAの全研究員を主語として使われていたけれど、彼女たちこそがこのweの先頭に立つんだろうな。この時代、黒人、ましてや女性にとっては、不可能なことだらけだった。それを、勇気と信念と努力によって、変えたんだから。切り拓くとはこういうことだ。先駆者になるとはこういうことなんだ。ひとりで超えなければならない壁と、一丸となってやっつけなければならない敵とがいて、その両方で踏ん張りきれないと、不可能を可能にすることはできない。

こんな感想は陳腐で結局上から目線なんじゃないかと思われるかもしれないけど、感動してしまった。こんなこと実際にできたんだなって。できない社会なんてあっちゃいけないけど、そう思ってしまった。どんなに頑張っても報われなくて、それでも自分自身だけは自分の頑張りを知ってるから大丈夫だって言い聞かせたとしても、きっと大丈夫じゃない。自尊心も、信念も、何もかも壊されてしまう気がする。精神力とか心の強さとか、そんな一言でまとめられる強さじゃなくて、もっともっと、自分を信じられる、自分を肯定できる強さがないと、だめになってしまうんじゃないかと思う。三人にはそれぞれ家族がいて、できて、たくさんの愛を与えて与えられて生きていたから、きっと強くいられたんだろうね。別に偉そうに愛を語るつもりはないけど、いざというときに誰かの顔が浮かぶひとは、きっと愛をきちんと知ってるひとなんだろうなと思うし、彼女たちはきっとそうなんだろう。

キャサリンたちがすごいのは、困難に対していつだってフェアな闘い方をしていたことだった。アンフェアな扱いに対して、いつだってハンデを使おうとしなかった。あんな凛とした生き方を見ると、自分の甘ったれた幼稚な態度が恥ずかしくなるくらい。邪な心がないんだよね。ぎゃふんと言わせてやるだとか、痛い目に合わせてやるだとか。あんなに蔑まれてきたのに、やり返そうなんて微塵も思ってない。だって彼女たちは、自分たちを迫害していた白人メンバーでさえも、仲間としてきちんと敬意を払っているから。それが、本当の本当に尊くて、寛大で、大人で、格好良いところだ。主観的になりすぎず、相手の立場だってちゃんと思いやることは、実際に行動で示すのはとても難しい。でも、それをやり遂げたんだよね。

白人の描き方も良かったなあ。単に加害者として描くんじゃなくて、彼らは彼らなりの葛藤があったんだよね。ひとりひとりが黒人を嫌ってたんじゃなくて、そんな社会に染まってしまっていたし、洗脳されていた。ソ連に出遅れているってことのプレッシャーだって大きかっただろうし、どうしても女性には負けられないってプライドだってあっただろう。結局、皆一所懸命生きてたんだよね。怠けてるひとなんて誰一人出て来なかった。皆、不安や悩みを抱えてて、それぞれで闘っていた。もちろん、白人による黒人差別を肯定してるわけじゃない。彼らへの警告だってたくさんあったし。そうじゃなくて、白人も黒人も皆努力してたんだから、くだらない縛りなんか抜け出して、ちゃんと認められて、肯定されるような社会だったら良かったのになあって、本当に純粋に、そう思ったっていうだけの話。

宇宙開発なんて教科書のほんの数行でしかまとめられていないけど、隠された物語がたくさん行間に詰まってるんだよね。差別からの脱却も宇宙開発も不可能への挑戦だったし、本当に、夢が詰まったプロジェクトだったんだろう。実際はそんな綺麗な目的や手段が取られたわけではなかったけど、最後のシーンでは本当に私も一緒に現場にいるみたいに感じたし、人類の大きな一歩を間近で見たような、そんな気分だった。

複数の意味を持ち合わせる原題も、人情味溢れるキャストも、憂鬱を吹き飛ばしてくれるような音楽も、幸せになること間違いなしの皆の笑顔も、本当に素敵な作品だった。ただ、彼女たちのような特別な立ち位置にいたひとがきっかけとなって平等な社会が築かれたのなら、それはもちろん喜ばしいことではあるけど、同時に複雑でもある。別に、誰だって同じなんだもんね。子どもも大人も、天才も凡人も、肌の色も国籍も、本当は何も関係なくて、ただ違うねっていう、それだけの話であるべきだ。そういう意味ではまだまだHidden Figuresは世界にたくさんいるのかもしれないし、私たちはそのひとたちを光のある場所へ呼び戻さないといけない。直接手を引っ張り上げるというよりも、彼らが自分の足で這い上がってくるのを可能にする世界を、きっと作らなくちゃいけないんだろう。
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