このレビューはネタバレを含みます
常識の脱構築だ。
物語の中に物語があり、その物語の中でも物語を作る女を描く。
まるで自分の人生が舞台やドラマ、映画監督に操作されているかのような、起きても起きても夢を見続けているかのような感覚。
「女流」という名に秘められた女性蔑視。
「売女になる」という自由が認められない嘘だらけの表現の自由。
「自由に傅いて、自由の奴隷になって、自由に振り回されて、自由になったふりをしなくてはならない。」
女と映画という同じ枠に囚われた者同士をあくまで客観視しようとする度に自由は物語化される。
物語化された自由は、本来の意味における自由を損なわれ、両親のセックスのように秘匿され、脚色され、耽美なものに埋没し、失われていく。
この映画はポルノを描いたのではなく、失われた自由を嘆いた映画監督の喘ぎにほかならない。わざわざポルノなのにアンチポルノとしたことには、そうした監督の喘ぎがひしひしと伝わってくる。
悪くないと思うが、たぶん、誰もついてこない。