チャンミ

女神の見えざる手のチャンミのレビュー・感想・評価

女神の見えざる手(2016年製作の映画)
4.0
アメリカでの銃規制法案の通過を巡って、ロビイイング業者を通して見えてくる、日本にはなじみの薄い政治活動は興味深い。
同時に、法案を通すために、あるいは反対するために市民が団体に働きかけたり、政治家がその声に左右されるような状況は、「権利」に疎く見える日本においては複雑におもわれる可能性が低くないとため息も出る。
とは言え、ジョン・マッデンはさすがのさばきで2時間以上ほとんど退屈させずに、この攻防をアクションさながらに見せてくれる。
(ある、生物兵器? と言えそうなアイテムの登場には驚かされる)

その要は、冷徹に仕事をこなす「ミス・スローン」を演じるジェシカ・チャスティンで、智謀をめぐらせ(仮に孤独であっても)内外との駆け引きに動じない鉄面と、かすかに漂う危うさでメリハリをつける。

注目したのは「女性の票をどう動かすか」で、スローンはフェミニスト団体にも働きかけ、これが大きな布石になる。
可決を目指すスローンの陣営でも女性たちが大きな働きをする。
一方、スローン自身は10cm以上のピンヒールで働き(1度だけヒールを脱いだシーンがあって、そこでチャスティンがそれほど大きいわけではないことを思い知らされるのだけど、役者の身体と演技と、衣装で作るギャップも目をひく)、真っ赤なリップなど徹底したメイクアップを施す以外、典型的な「フェミニン」な要素は、翻弄するようなそぶり以外では見せず、そのかたわらでエスコートサービスの男性と性的欲求は満たしているよう。
わたしはこの攻防を、男性主流の社会で女性が生き抜く物語と見た。
だから原題は「女神」などというイメージを使わず、「Miss Sloane」とセカンドネームを冠したのではないか?
その証左に、エスコートサービスの利用や不眠症による向精神薬への依存癖のほのめかし、といったスローンの「私的な側面」に、彼女が銃規制のロビイイングに何よりも力を注ぐ「理由」があるのではないか? と観客に予感をにおわせながら、彼女のプライベートには頼らないドラマ展開を見せる脚本、演出は徹底している。
安易な想定をすると、スローンにも銃に関するなんらかのトラウマを抱えていて、だからこれほど熱を入れるのでは、と考えるだろうが、この作品はそういう情に訴えるようなまねはしない。

と考えると、日常的にわたしたちが、決してすべての女性から「だわ」「かしら」「なのよ」といった典型的な女ことばを聞かないにもかかわらず、多用する松浦美奈氏の字幕翻訳は作品に登場する女性たちを固定化するもので、適当とはおもえなかった。

ロビー活動の内実がうかがえて勉強にもなるけれど、今の日本は自民党一強と化していて、アメリカのような二大政党政治と成しておらず、だから、本作が見せる「攻防」のように、議員ひとりひとりへの働きかけがある程度までしか機能しないのでは、とも考えた。
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