真田ピロシキ

そうして私たちはプールに金魚を、の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

3.3
エモいという言葉も濫用しすぎてそろそろ胡散臭い。「結局」のところしょうもない若さを送った中年がせめてでも取り戻すため若年層にどうにか自分を重ね合わせようとしているだけなんじゃないかと度々自問する。端的に言ってキモい。

この30分の映画はそうしたエモさの搾取を拒絶するようである。埼玉の狭山に生きる中流家庭の中学生4人。良きにしろ悪しきにしろ大きな事件など起きなかったしこれからもきっと起きない。そこそこの成績。そこそこに恵まれて不幸な家庭。そこそこに大切で心地良い友達。生まれながらにして死んでいると感じるゾンビのような日常。縁日の金魚をプールに放したからって何かを予兆させるわけでもなくただ停学になっただけで映画は終わる。アイドルになった幼馴染ですら「結局」芽が出ないのに平凡な中学生に如何程の可能性があろうか。時々エモーショナルなカットはあるけれど、それは尾を引かない刹那的な熱さでしかない。

なるほど。これにはきっとリアルがあると埼玉にも10年住んでいたことがある地方民としては頷けるものがある。だけどそんなことはとっくに分かっている。でもそれで終わって欲しくはない。「結局」を魔法の言葉にされても「選挙なんて行っても無駄。声を上げても何も変わらない」と嘯く嫌な若者と元若者を見せられているようで面白くない。嘘でも良いから火を点けるのが大人の仕事じゃないんすかね?と、ウザいおじさんは思ったわけです。『ウィーアーリトルゾンビーズ』を明日見に行こうかと考えていたのですが、このノリが2時間なら厳しそう。本作が「結局」に留まったのは30分の制約故にであったなら良いが。

あまり好きにはなれない映画であったが劇映画っぽさを省いた抑揚のない演技や第四の壁を突き破る台詞などインディペンデントの味はあるので刺さる人は刺さる。撮影も良い具合でロングで捉えたカットの弛緩しきった感じは平凡な地方の趣を大いに感じさせる。最後の「サービスカット」宣言でロリコン男どもを挑発するのに「結局」で終わらせない萌芽を少し感じる。