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うしろあたま
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『うしろあたま』に投稿された感想・評価

muscle
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この年代の作家の大島弓子への憧憬、エグい。穂村弘、岩井俊二的な少女になりたいおっさんの系譜にこの監督がいるとは思わなかった。でもラストだったり唐突で暴力的なキスシーンだったりかなり、厳しい。正直、駐車場のシークエンスは悔しさと小っ恥ずかしさが入り混じったし。


上映後に運営にガチギレしてるおっさんがいたり、その後にも間違ったフィルモグラフィーを飄々と語っていて酷いもんだと思った。でも、スパッと風間志織監督が「酷い映画ですね」と言っていて、やっぱりこの人のことが全然嫌いになれない……と思った。
話が全く無くてよかった。夜女の子2人で部屋でわちゃわちゃして自販機に酒買いに行って、買った酒をぶっかけあいながら戯れたり服を脱がしあうのを俯瞰で撮ってるシーンが長すぎて最高。屋上で主演女優が服を脱いでいくシーンはパーフェクトボディすぎて興奮しちゃったけどその後のトークショーで風間志織があそこはどうかと思うみたいなこと言ってて反省した。映画館のシーンとか禍々しい画面になってて素晴らしい。フィルム撮影の粒子。音も荒れすぎてセリフが聞こえないんだけどずっとぐだぐだなんか喋ってる。全く面白くしようという気概が感じられなくてすごい。
☑️『うしろあたま』(4.5p)及び『0×0』(3.3p)他OV作(3.6p)▶️▶️

この時代はひと月に4、5本しか映画は観れてない(それでも多いが)時期で、これも初めて観たのは21世紀に入ってからの回顧PFF特集で。90年代に入ってやっと観た『ベルリン·アレクサンダー広場』『ショア』(更にやはり21C始めに観た『死に至る愛』『自由処女』)も加え、やはり個人的には、1980年代の最高作の1本だと思う。ラストはやり過ぎにしても、迷い孤立したそのまんまを、個人の中で最大限に整理し、また扉を開き相対化させた、巨大な感覚的寄せ集め、に留まらぬナチュラルな壮大不思議貫くもの。観念と表現の60年代、取り残された生理と感性がのたうち彷徨う70年代に対し、あまり観てなくて、また、一般的関心も旧作発掘へかなりのエネルギーが向かった中で、言い切るのは変だが80年代はそんな時代だったと思う。上記3作に並ぶ、公開時に観た『陽炎座』『レイジング·ブル』『パッション』『ションベン·ライダー』『Movie Watching』『ラルジャン』『家族ゲーム』『天平の甍』『ニア·ダーク』『ルート1』らも皆そんな映画だ。
ヒロインの制服姿の多い高校時代のモノクロ、カラーの私服通学の大学期が似て(同じような窓辺や起きがけや食事テーブルらシーンが切り替わってなくて継続かと一瞬思ってしまう)非なるリズムと内容で交錯し、数年間の間の繋がりはあまりなく、パラレルワールドにも見える。友達とのフランクさ、軋轢の独り合点の渦で結構緊張感張ってる高校時と、狭い付き合いとそのはっちゃけあるも、基本孤独を纏うを自認してる大学時代。関西弁の仲間とのやり取りは基本溌剌発せられるが、それとは別に周囲のノイズ的現実的騒音的声の被さりが圧巻の力があり、その流れはシーンや時代を跨ぎ継ぎの場に流れ込んでくことも。ブランコのシーン以外にもその漕ぐ音が被ったり、作品を支配する作家的意志が音でも不思議に感じられ続ける。只、似てる場だが、モノクロでの続きメインで、カラーカットや赤いモノトーンも含む、高校時主要メンバー再会のOLや社会人になった者を含む、(大学時)現在パートも併行してくる。そして多出お決まり屋上での、映画邁進も途中姿を消していた、カメラ後ろ斎籐君とヒロインの半主観的対峙、纏うもののストリップティーズ脱ぎ捨て素の剥き出し戻りの、いかがわしい舞台裏半含みの形へも向かってく。スッキリはさせてくれぬ、くぐもった作者資質もある。
モノクロ高校時と、カラー大学時では、映画の叙述スタイルでも、かなり対照的で、反発し関与しあってもいる。鋭く速いパンや移動、退き寄りの細かい切替え·切返しやどんでんや90°変の隙与えない立体と動き組立鋭さのカッティング、抽象届きハイキー取込みの、着実·確実にキレと明確さが満ちている、モノクロパート。カラーパートは、基本長回しフィクスに·縦の図や(周囲の人物の部分コントロールも含め)動き·出入りが執拗に振付けされてる。細かな動きが散見から、終盤はカメラも人もフレームを突き破り、俯瞰Lのパン·ティルトも含め、ダイナミックに大きく動いていく事も。
高校の時代は、カップルや付き合いにも、個人的には無関心も、奥にある心持ちが引きずりだされ、他の進まずゴタついてるカップルのあり方に、越えて善意のチョッカイ出してやったつもりが、余計な波が自分の方にも向かってきて、各々を尊重した3人組にも、対立や無視、が入ってくる。大学では、そんな思わぬダイナミズムは存在せず、その時その場だけの、ふざけ嵌まりの【中断】
風間の『0×0』も再見できたが、「探すこと」「確かは」について、『ひなぎく』よろしく、少女らが、様々な現実空間と人びととの出逢い·アンサンブル形成変容を、軽やかに自由に、謳い、斎藤より遥かに映画のセンスはあるナ、とやはり思った。
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この作家が凄いと気がついてたかだか15年くらいその後も調べることをしなかったので、やたら凝って収拾つかず、時間かかかること、まともな完成はみないことが普通、という作家癖など全くの知らず、自己中心的に他人を主導してく傲慢さもある、という決して周りから無条件に好かれる人でもなかったという、係わった人たちの話は意外だった。私生活ではいい人だが、創作に入ると難しいタイプ。近ごろはあまり聞かない種の人。その彼が商業映画の監督として、短期仕上げ、纏まってもいるという、O Vが観れる。が、逆に不気味な変態度やヘソの押さえ無さが不用意に透けて見える。タイプの女子高生を調べ出し、10数人を強姦殺人に至らせた、カラオケ店の店長の取調べに感化されて、「暴力」への気安い直截的な衝動への解放がくすぐられてく取調べ刑事を描く。勿論中心は、犯行の手口と顛末だが、構図を崩さないフィクスが中心で、テンポの早まりは稀だが、個々の構図や、90º編やどんでん·対応の角度切替えは、くぐもった中で極めて無駄無く締まって効果的で品名がある。それが容疑者の拘置所移送後、彼が漏らした、膣痙攣と脚力で唯一逃がした女子高生を、単独権限で呼び出し、凶行にはしるカットで、カメラも興奮し張り付いて追い動く。部下に起こされ夢から醒める、汗を浮かべた大CUのアップも規格外。現実には何もなかったのか女高生を返した後、部下にさっきの暴行は?と冷静に聞かれ、学校生活に戻った少女もグラグラフニャフニャと髪切るを友人に男の子になるよ、なんて言われてる、変で不気味な絞めとなる。同世代のゴダール信奉者の原理主義に留まらない、ぴあ出の人にも珍しい、旧く危ない映画人気質やそれによる歪みが、卑下など無縁に存在感してるのが面白い。人は権威に弱く、今のこの催しの中心で·嘗ての日比野さん等に比べるとかなり劣っているのに、そのプログラムの誤り等を我々が指摘しても決して応じない荒木さんが、あの大久保さんが客席から叱りつけると、只々小さくなっていたのも、醜いと思った。