救済P

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?の救済Pのレビュー・感想・評価

3.1
キャラクターデザイン渡辺明夫、制作シャフト、監督新房昭之の黄金コンビによって戦場ヶ原ひたぎさんにしか見えないヒロインをとにかく可愛く魅せるぞと頑張った映画。

田舎の、一夏のラブストーリーに必要な時間の遅さ、自然の強力さ、空の大きさ、海の美しさ、そういった要素は完璧な美術とシャフト特有の演出力でうまくカバーされている。特にタイトルにもあるように打ち上げ花火の描写や、タイムリープ、あるいは並行世界への移動をする際のキーアイテムとなるガラス玉のような装置が作動するシーンは突き刺さるように煌めいており、サイエンスフィクションの未知に対する荘厳さが美しく演出されていた。
特にひたぎにしか見えないメインヒロインなずなの描写には力が入っており、一人だけフレームレートが違うのか一挙手一投足の全てが特別扱いされており、男子連中にとっては高嶺の花であるあまりに美しい同級生の神聖と不可解が余すところなく伝えられていた。

というように、画と演出の美しさはさすがシャフトでどこまで高く評価することができるが、ストーリーやキャラクターはかなりしょうもない。
世界観は竜騎士における「かけら」と同様のものなのでタイムリープものというよりは並行世界ものと言った方が正しいかもしれない。主人公はなずなの願いを叶えるために様々な「if」の世界に跳躍する。記憶を保持したまま世界を渡り歩けるようになる終盤はそれなりにしっかりとしているが、序盤から中盤にかけて主人公がかなりなよなよしていて見ていてムカつく。中学生の実態に即しているといえばそうなのだが、若さゆえの無知、無知故の剛毅に裏付けられた言動とともに勢いだけで進んでいく画の連続には辟易する。なずなは女性のもつ神秘と未知の象徴として機能しているが、時にそれが傍若無人な利己性として振る舞われ、同様にムカつく。端的に換言してしまえば若い男女の幼い精神を見続けることになるので気分がいいものではない。

しかし、優秀なジュブナイル映画はアニメにおいても数多く存在する。本作のなにがジュブナイルをうざくさせているかというと、もうどうしてもこれは声優によるものとしか思えない。素人声優による演技は「田舎の」や「一夏の」に相当するなんでもない、一過性の世界観を描写するのにあまりにも不向き。ちょっとした会話や激情の発露に至るまであらゆるシーンで違和感が生じる。加えてキャラデザが渡辺明夫なのですでに定着しているキャラクターのイメージが素人声優の演技と齟齬を生じさせている。

画や演出の美しさは無類だがキャラクターと演技の未熟によって違和感しか感じない映画。プロの声優を起用していたらまた違った評価になっていたかもしれない。そう、たとえば斎藤千和とか、神谷浩史とか。
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