櫻イミト

私たちはどこに行くの?の櫻イミトのレビュー・感想・評価

私たちはどこに行くの?(2011年製作の映画)
3.0
「存在のない子供たち」(2018)のナディーン・ラバキー監督&主演による長編2作目。希少なレバノン映画。

イスラム教徒とキリスト教徒が共生するレバノンの小さな村。教徒間の激しい抗争は収まっていたが、男たちの間では小さな喧嘩が続いていた。その度に双方の女たちは集まり危機回避の方策を練ってきた。しかし対立はやがて一触即発の状態に陥る。女たちは男たちの目を暴力からそらすためにウクライナのショーダンサーたちを雇い、一週間の契約で村に滞在してもらう。男たちは機嫌が良くなり緊張は一時解けるが、ある家の息子が隣村で撃たれたことから事態はさらに深刻になる。。。

キリスト教の勉強を兼ねて鑑賞。しかし本作では宗教の教義は全く描かれず、異なる宗教コミュニティの男の抗争を緩和しようと女性たちが奮闘する様子が描かれている。ジャンルとしてはフェミニズム映画に括られるように思う。

冒頭、荒野の真ん中を30名ほどの黒衣の女性グループが、音楽に合わせてゆるやかに踊りながら歩いてくる。センターにラバキー監督の姿(ジャケ写)が見える。どこか坂道グループの新手のMVのようにも見えた。この時点で自分の苦手な作品かもと直感した。

本作の村の男たちは、知性がなく直情的ですぐに相手に暴力をふるう野獣のよう。信仰からの学びは感じられず、しかし自分の属する宗教コミュニティへの帰属意識は極めて高い。本作を観てまず思ったのは、決してレバノンを訪ねたくはないという恐怖心だった。

一方、女たちにコミュニティ間の壁はなく極めて平和的友好的に共生している。男たちに若い女を与えて大人しくさせたり、麻薬で眠らせてその間に武器を隠したりと、男への対応は動物を扱うのと同じと言える。そして彼女たちの信仰も熱心には見えない。なので、落としどころであのような行動に走ることができる。

反知性主義で貫かれた本作の物語は、例えば「クローズ」や「東京リベンジャーズ」のような不良漫画に置き換えやすい。対立する不良高校の抗争を、ヒロインが相手高校に転校することで収めるといった具合にだ。本作の論法はそのくらいの軽さが感じられる。

解決の難しい深刻な状況が続くレバノンでは、この軽さが求められているのかもしれない。一方、地元観客のレビューには「レバノンの状況を正しく伝えておらず誤解を呼ぶ」「女性の方が感情的に対立している」、また「十字架は破壊されマリア像は泥をかけられるのにムスクは無事なのは何故?」の意見が見られた。

絶賛しないと批判されそうなムードがある本作だが、個人的にはあまりにも女性至上に偏っているのが苦手だった。ラバキー監督作を観るのは本作が初めてだったので、次は「キャラメル」「存在のない子供たち」を観てみたい。
櫻イミト

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