ほとんど一瞬にすぎないが、ところどころこの役所広司にはかつての黒沢清映画からやって来たのでは、と思わせる瞬間がある。出で立ち、振る舞い、色気のある、どこかとぼけた、それでいて中身の読めないあの表情はさすがというほかない。
この人のブラックホールのような虚無的な存在感があまりにも見事なので、物語の最後で『真相めいたもの(と、慎ましく言っておこう)』が明らかになるところはかえって残念だった。
空虚な容疑者に対する、本来スーパースターであるはずの福山雅治の押されかたが面白い。普通であれば画面を支配するはずの顔なのだけど。
切り返しショットで、役所広司の顔だけがぬらっと揺れているように見えるところがあった。対して福山雅治を捉えるカメラは静止している、と思いきや、ふたりがガラス越しに手を合わせたとたんゆるやかにその動きが伝播し始めた(ように見えた)。言い様の知れない感動、あるいは不安がわき上がってくる瞬間だった。
どこか理がちになっているという批判はその通りだとも思うのだけど、どんどんドラマ性を増していっている是枝監督のフィルモグラフィのなかで見逃しがたい一作だと思う。
ただ、最近どこかテーマ性が重なる作品としてネットフリックスでAmerican Vandalという傑作を見てしまったので、いかんともこちらのほうに評価をくだしかねているところがある。