スガシュウヘイ

三度目の殺人のスガシュウヘイのネタバレレビュー・内容・結末

三度目の殺人(2017年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

”チェーホフがこう言っている(中略)物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはいけない”
”物語の中に、必然性がない小道具は持ち出すなということだよ”
(村上春樹『1Q84』より)

しかし、本作は、発砲されない銃が多々あったような。


すべての伏線をきっちり回収して、ラストでしっかり結論をつける、というのは映画の王道で、見ているほうもスッキリして楽しい。しかし、現実はそう簡単に白黒結論づけできるものではない。

伏線の回収は時に「フィクション感」が出て、私はあまり好きになれないときもある。

現実は伏線の回収なんてしない。無意味なこと、または意味があったとしてもよくわからない物事が、よく起こる。それが現実だ。神はよく沈黙する。


この映画にはおそらく正解はない。
だから、私も個人的な見解を書く。

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まず、役所広司は、やはり二度目の殺人を犯している。そして、それは広瀬すずのためでもなんでもなく、単に自分のために殺したのだ。それを、広瀬すずは勝手に「私のため」と思い込んでいる。自分がレイプされていた相手を殺してくれた、私の思いが伝わったんだ、と。美談にしようとしている。
福山雅治も、その美談こそ真実だと思うようになる。
「三隅が急に殺人を否定したのは、咲江に証言させないため。そのためなら自分は死刑になってもいい。咲江のことを命がけで守ったんだ」
しかし、私はそうは思わない。
そんな美しい話は現実にはめったに起こらない。役所広司は、やはり急に死ぬのが怖くなったか、もしくは証言を翻して、あたふたする人間をみたかったか、いずれにしろ、その行動に深い意味はなく、短絡的、場当たり的に行動している人物なのだと思う。
それなのに、そこに「何かしらの意味」を見出そうとする、大衆。
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そんなに何にでも「意味」があるのか。
そんなに何にでも「理由」が必要か。

現実って結構あやふやなものかもしれない。
この映画みたいに。

そして、『海よりもまだ深く』の時のレビューでは、起伏のないストーリーでも「作品」として仕上げてしまう是枝監督のすごさ、について書いたが、本作でも、こんなあやふやで結論のない、ぼんやりとした話ですら、見応えのある「作品」に仕上げてしまっている、是枝監督の手腕について、もう一度触れておきたい。


この点に関しては、どうしてこの話がこんなに見応えのある作品になっているのか、どんな演出が施されていたのか、その「理由」を知りたいところだ笑。


公開:2017年
監督:是枝裕和
出演:福山雅治、役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎、満島真之介
受賞:日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか