真田ピロシキ

燃える勇者の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

燃える勇者(1981年製作の映画)
2.9
久しぶりにスコーピオン真田さん。両親の骨を埋めに初めて日本を訪れた青年ジョーが手違いで滞在した町で悪徳企業との戦いに巻き込まれるという話。「アフリカへ帰るんだ」と言うジョーさん。アフリカのどこだよ。ざっくりしすぎだろ。南アフリカ?ケニア?ガーナ?ナイジェリア?と広すぎて適当に思い浮かべただけでもたくさんあるぞ。日本人がアジア以外の外国行ったとして普通「アジアから来ました」とは言わないでしょ。この時点でアフリカを尊重する気が希薄なのが見て取れる。最初のクレジットでケニア観光局が出てくるのでケニアをイメージしているのだろうが、それでイメージされる映像は部族と動物のステレオタイプなアフリカ。如何にも80年代の映画だ。

そんな映画なのでストーリーは大したことないです。悪の企業が公害を垂れ流してて、しかし市の経済を全て牛耳っているためにマスコミや警察、病院も手先で、ここを例えば現実の水俣で患者側が厄介者扱いされたように社会派風に掘り下げればなかなか気骨のある作品になったかもしれませんが、東映の娯楽映画にそんなのを求めるのはどだい間違っているのでしょう。真田さんのヒーローアクションを見るしかない。雰囲気としてはマブリー映画と同じです。『守護教師』に似ている。真田さんを動かすために世界が存在していて、ショートカットするために存在する崖、暴走列車に飛び乗るためのロープ、そして化学兵器を作ってるはずなのに至るところが崩れ穴が開いてている悪の巣窟とアクション映えの宝庫。屋根のアクションの豊富さはまるで水を得た魚のようにみなさん動いていらっしゃる。元から訓練している悪の警備兵は分かるのだが、金の亡者から改心したルポライターの西条さんが射撃上手すぎてヘッドショットまでかますのは謎だ。元自衛官なのだろうか。マッドマックス一歩手前のバイカーが跋扈してる世紀末な町なので密かに銃くらい撃ったことがあるのが当たり前なのかもしれない。それだけに暴力描写は結構キツめで、仲間の勝の彼女が蹴り殺されるシーンは「うっ…」となるので見る際は少し注意が必要。

ジョーさんがこの町に滞在するきっかけになったのは暴れ馬を静めたからで、このお馬さん、馬主の孫娘が悪人にさらわれた時は柵を飛び越えて助けに駆けつける。その勇姿に感動するも最終決戦でジョーさんを列車に届けたところで撃ち殺されてしまう。何してくれとんじゃこらぁ!コイツらにはスコーピオン真田さんのフェイタリティとブルータリティをぶち込んでやるべき。毒ガスの実験でも鳥が死ぬのだが、このシーンは本当に殺したとか。人形使えばいいだろ…色んな点で今の時代にはそぐわない映画。