TOSHI

ビジランテのTOSHIのレビュー・感想・評価

ビジランテ(2017年製作の映画)
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「あゝ、荒野」を観た時にも思ったが、古臭い風景をバックに人間同士のぶつかり合いのドラマを描く上で、デジタル撮影は向かないのではないかと思う。フィルムにある陰影やザラザラした感触が無く、全てがクリアに見え過ぎるために、作品全体が綺麗事に見えてしまうのだ。しかし本作はそんな、デジタル撮影のデメリットを物ともせず、陰影があり画面から闇が浮かび上がってくるような映像が、圧倒的だった。
近年はメジャー作品を手掛けていた入江悠監督が、最近では珍しくなってしまったオリジナル脚本により、原点回帰のように再び自身の地元である、埼玉・深谷を舞台とした作品だ。

暗い中、川でもがきながら逃げようとする三兄弟と、それを鬼のような形相で追ってくる父親。冒頭から、ただならぬ気配が伝わってくる。長男が何かを河原の土に埋めた所で捕まり、連れ戻された三人は、凄まじい折檻を受ける。妻は既に亡くなっており、暴力を振るい続けていた父親は、三人の誰かに首を刺されたのだ。屋敷を飛び出した長男は、そのまま失踪する。

三十年後、父親・武雄(菅田俊)の跡を継ぎ、地元の市議会議員になっている次男・二郎(鈴木浩介)。亡くなった父親の葬儀が行われるが、市が誘致するアウトレットモールの予定地に、二郎が相続する予定の武雄が残した土地が含まれている事が、焦点になってくる。また二郎は市議としての出世コースである、街の治安を守る自警団の代表を務める事になる。
二郎の妻・美希を演じる篠田麻里子は、観る前はミスキャストではないかと思っていたが、これが良かった。二郎を出世させる上昇志向のため、美貌を利用して男達を手懐けていく悪女ぶりに魅せられる(武雄とも寝た事が、匂わされる)。直接的な性描写は殆どNGの、AKB48出身女優の中で、大胆な夫とのカーセックスまで見せる。
三男・三郎(桐谷健太)は、地回りのヤクザ・大迫(般若)の元でデリヘルの雇われ店長をしている。同じはぐれ者としてのシンパシーなのか、デリヘル嬢達には兄のように親身に接している。全く別の道を生きてきた三兄弟だが、失踪した長男・一郎(大森南朋)が、突然戻って来て、公正証書をたてに土地の相続を主張し始めた事で、三人の間で止まっていた時間が再び動き出す。
一郎は恋人・サオリ(間宮夕貴)を連れており、横浜でしていた事業で多額の借金があった。ずっと音信不通だったのに武雄が死ぬと現れ、権利を主張する一郎は、エゴイスティックで人間性が崩れかけているように見える。三郎が屋敷を覗き見し、サオリと乱暴なセックスをしている一郎を、武雄に見間違えるシーンがあるが、実は武雄に人間性が一番良く似たのは、一郎だと思わせる。
一郎の主張により二郎の面子は丸つぶれで、狡猾になり切れない、議員としての小物感が露呈するが、先輩議員・岸(嶋田久作)が、一郎に相続放棄を迫るため大迫に依頼する事で、三郎も窮地に立たされる。三人の欲望や野心がぶつかりあう、ドロドロとした作品世界は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を彷彿とさせる物だ(3兄弟はそれぞれが、入江監督自身がモデルだという)。
並行して描かれるのが、モール予定地の公営住宅に住む中国人のコミュニティと、自警団の衝突である(タイトルのビジランテは自警団の意味)。地方都市にこそ根強くある部落差別や外国人差別を、同時に描いてしまっているのが凄い。通常の商業映画では、まず無理だろう。自警団の若者達がマイノリティーの排除に熱中し、仕返しで目をやられた陸上(吉村界人)達が、更なる報復の行動に出る描写に怖さがある。
一郎が問題の土地に拘る理由は、利己的ではなく意外にも純粋な物だったが、一郎を説得できない三郎が、店長を辞める事を申し出て大迫を激昂させ、手に箸を突き刺されるシーンが強烈だ。遂に、デリヘル嬢達の身柄をさらった上、屋敷に押しかけた大迫達と、一郎の債権回収を図る横浜のヤクザが対峙する事になり…。三郎が掘り返した、一郎が30年前に河原に埋めた物が、衝撃の結末を引き起こす。ラストでは、瀕死の三兄弟の一人が捉えられ、改めて彼が主人公だったのだと気付くと同時に、閉鎖的な救いのない世界を生き抜こうとする意志に衝撃を受けた。

立ち込める雲、連なる鉄塔と送電線等の、北関東の寒々しい風景が印象的だが、オープニングやラストシーンにもある、入江監督作品の特長である、ロングショットが大きな効果を上げており、土地の呪縛から逃れられない、人々の悲愴感が見事に表現されていた。
土地や家族等のしがらみに縛られ、偏見や暴力が支配し、希望が見えない閉鎖的な地方都市のリアルに、打ちのめされる作品だ。
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