たけひろ

心と体とのたけひろのレビュー・感想・評価

心と体と(2017年製作の映画)
5.0
驚かされた。

興味を持ったきっかけは、タイトルと評価の高さ。

監督やキャストや製作国については知らず、あらすじも予告編も感想も目にせず、何ひとつ予備知識を入れずに観たのだけれど、それもきっと幸いした。

この作品と出会えたことに大きな喜びを感じる。

まず、物語とキャラクターの設定が秀逸で、発明的。

脚本の構成も撮影も巧みで、映画的でありながら、文学を感じた。

しばらくは、一体何を主題とした物語なのかと、さっぱりわからずにいた。

が、ある事実が発覚した場面から、興味と集中がぐっと深まり、尻上がりに満足度も高まっていった。

プラトニックでありながら官能的。

繊細でありながら大胆。

グロテスクでありながら美しく。

変態性をはらみながらロマンティック。

強くありながら弱くもある。

人間でありながら動物。

死に近づきながら生きている。

そんな表現が、素晴らしく魅力的で、愛おしかった。

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

谷川俊太郎さんの詩の一節を思い浮かべもした。

クライマックスでの心拍数、この数年で一番だったかも。

主人公のマーリアに近しい特性の女性に恋をして、けれども、恥ずかしながら当時の私では理解が及ばず、上手くいかなかった経験があるもので、そんなパーソナルな部分にも響いて、考えさせられた。

「男と女と」

「老いと若さと」

「嘘と本心と」

「理性と本能と」

「夢と現実と」

「誤解と真実と」

「沈黙と音楽と」

「諦念と希望と」

「雪と血と」

「静と動と」

「心と体と」

まさに、タイトルにふさわしいと思う。

重層的な対比の表現も効果的。

映像でも、演技でも、台詞でも、観客に行間を読み取らせて、想像を膨らませるような、余白があることも好ましかった。

たとえばひとつ、印象的だった場面を。

(以下は、まだ観ていない方は読まないでください)

夢の世界の、雪の降る森にて、鹿として逢ったふたり。

翌日、現実の世界の、会社の食堂で同席となる。

見つめ合うふたり。

沈黙。

静かながらも、感動の熱を帯びたエンドラの、たったひとことがある。

「素晴らしかった」

やがて、かすかに微笑み、目を伏せるマーリア。

沈黙。

私は、察した。

鹿たちの交尾を。

マジか…!

と驚きながらも、ふたりの気持ちを想像したら、ある種の感動を覚えた。

恋をした相手と、一夜を共にした時に湧き起こる、感動を。

つまりは、素晴らしかった、のです。

というわけで、本作ですっかりファンとなってしまった、イルディコー・エニェディ監督のインタビュー記事を、興味深く読んだ。

写真家のソール・ライター、そして、ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」からの影響についても言及されていたので「私もファンです!」と挙手。

嬉しい数珠繋ぎ。

もう一度観たなら、新たな発見がありそうで、楽しみだ。

(後日また観たらオープニングのふたりがすでに微笑ましかった)

以下は、あくまで個人的な好みというか、願望としてというか、ファンとしての妄想、の話。

クライマックスの場面で、マーリアが浴槽で血を流していて、あの曲が途中で止まってしまってから、このままでは死んでしまう、といった緊迫した時間が流れたのちに、もしも、彼女が意識を失っていたならば、その夢の世界で、雌の鹿が瀕死の状態となっていて、すぐそばで雄の鹿が鳴きながらうろたえている、となり、現実の世界で飛び起きたエンドラが激しい胸騒ぎを覚えて、すぐさま電話を掛ける、着信音で覚醒するマーリア、となるだろうから、夢と現実との繋がりを、そして、心と体の結びつきを、より強く感じられたかも。

さらに、エンドラからの愛の告白を受けたマーリアが、表情はあのままで、血を流しながら、愛の告白をしながら、もしも、ひとすじの涙がこぼれていたなら、より美しく、より感動を覚えたかも。

しかしながら、もしも実際にそれらの場面が描かれていたとしたなら、蛇足だった、かも。

もしかしたら、あの流れる血が、マーリアにとっての涙だったのかな。

流れる血がメタファーで、哀しみの涙でもあり、喜びの涙でもあった、ということなら、大賛成。

ごめんなさい、余計な言及をしましたが、今のままで充分、最高に素晴らしく、大好きな映画なのです。

それでは、今夜も夢で会いましょう。

鹿。
たけひろ

たけひろ